日本では医療費の地域格差の議論の中で、医療費は安ければ安いほど良いという論調になっている気がしていますが、これは間違いだと思います。
実際に私達の研究グループが2015年に行った研究によると、日本において医療費の安い県では心肺停止患者が生存する確率が低いという結果が得られています。日本の47都道府県を県民一人当たりの医療費で3つのグループに分けて解析したところ、低医療費の県では他のグループの県と比べて、院外心肺停止の患者の予後が統計学的に有意に悪いという関係が認められました。
日本では以前から、県によって医療費が大きくばらついていることが問題となっており、県ごとに医療費の目標値を設定することが検討されております。しかし、医療費の高い県が、他の県と比べて医療の質が良いのか、むしろ低いのかに関してはほとんど分かっていませんでした。また、医療費のばらつきに比べて、県ごとの医療の質のばらつきは研究されていませんでした。
私達は、2005~2011年に日本国内で発生し、救急搬送された院外心肺停止の全患者618,154名のデータを解析しました。各県の医療の質の指標として、院外心肺停止患者の一ヶ月生存率および一か月後の神経学的予後(一か月後に一人で歩けているかなど麻痺の程度)が用いられました。院外心肺停止患者の一ヶ月生存率は県によって大きなばらつきが認められました。リスク補正後の一ヶ月生存率は、一番高い富山県で8.4%(95%信頼区間7.7%-9.1%)、一番低い岩手県で3.3%(95%信頼区間2.9%-3.7%)と2倍以上のひらきがありました。東京都が3.4%(95%信頼区間3.3%-3.5%)と悪いのに比べて、大阪府は6.6%(95%信頼区間6.4%-6.9%)と比較的良好であるという結果が得られました。一か月後の神経学的予後でも同様に大きなばらつきが見られました。
また下図のように、医療費が安いにもかかわらず院外心肺停止患者の予後が良好な県がある一方で、医療費が高くて患者の予後も悪い県も認められました。
図:県民一人あたりの医療費と院外心肺停止患者の一ヶ月生存率の相関
※人口一人当たりの医療費は2005から2011年の平均値であり、歯科は含まない。
47都道府県を人口一人あたりの医療費で3群に分けると、低医療費の県と比べて医療費が中等度の県では一ヶ月生存率が統計学的に有意に高いことが明らかになりました(リスク補正後のオッズ比1.31、95%信頼区間1.03-1.66、P値=0.03)。一方で、医療費が中等度の県と高い県では患者の予後に差はありませんでした。一か月後の神経学的予後を用いた解析でも同様の結果が認められました。
この研究の結果から、医療費抑制のみを目的にした政策は、県民の健康状態や患者の予後を悪化させてしまうリスクがあることが示唆されました。医療費は健康のアウトカムとセットで評価しないと意味がない(=闇雲に医療費抑制したら地域住民の健康を害するリスクがある)ことを示す重要な知見だと考えます。
論文のホームページ: http://bmjopen.bmj.com/content/5/8/e008374.full
(2015年9月1日追記)今回の研究には2011年のデータも含まれているので、震災の影響のあった岩手、宮城、福島は健康アウトカムが少し低めに計算されている可能性があります。合計7年分のデータを使っているうちの1年分ですので、それほど影響は大きくないとは思いますが、それを考慮して結果を解釈して頂けると幸いです。
表:各県の院外心肺停止のアウトカムおよび医療費の関係
リスク補正後一ヶ月生存率 (95%信頼区間) |
リスク補正後、一か月後に神経学的良好である確率 (95%信頼区間) |
人口一人あたりの医療費(円) | |
富山 | 8.4% (7.7% – 9.1%) | 2.8% (2.4% – 3.2%) | ¥224,596 |
沖縄 | 8.1% (7.4% – 8.7%) | 2.8% (2.5% – 3.2%) | ¥206,845 |
福岡 | 7.4% (7.1% – 7.7%) | 3.7% (3.4% – 3.9%) | ¥252,144 |
愛知 | 6.8% (6.5% – 7.0%) | 3.0% (2.8% – 3.2%) | ¥185,712 |
大阪 | 6.6% (6.4% – 6.9%) | 3.5% (3.3% – 3.7%) | ¥226,081 |
高知 | 6.4% (5.6% – 7.2%) | 3.0% (2.4% – 3.5%) | ¥287,925 |
石川 | 6.3% (5.7% – 7.0%) | 3.3% (2.9% – 3.8%) | ¥239,565 |
島根 | 6.2% (5.5% – 6.9%) | 3.5% (3.0% – 4.0%) | ¥235,968 |
滋賀 | 6.1% (5.5% – 6.6%) | 2.6% (2.2% – 3.0%) | ¥179,995 |
北海道 | 6.0% (5.7% – 6.2%) | 2.8% (2.6% – 3.0%) | ¥253,361 |
京都 | 5.8% (5.4% – 6.1%) | 2.6% (2.3% – 2.9%) | ¥223,388 |
兵庫 | 5.8% (5.6% – 6.1%) | 2.6% (2.4% – 2.8%) | ¥202,829 |
和歌山 | 5.5% (4.9% – 6.1%) | 2.8% (2.3% – 3.2%) | ¥247,759 |
岐阜 | 5.5% (5.1% – 5.9%) | 2.4% (2.2% – 2.7%) | ¥191,359 |
鳥取 | 5.4% (4.7% – 6.2%) | 2.6% (2.1% – 3.2%) | ¥236,214 |
熊本 | 5.3% (4.9% – 5.8%) | 2.6% (2.2% – 2.9%) | ¥257,367 |
大分 | 5.1% (4.5% – 5.6%) | 2.0% (1.7% – 2.4%) | ¥259,836 |
岡山 | 5.0% (4.6% – 5.4%) | 2.4% (2.1% – 2.7%) | ¥243,946 |
鹿児島 | 4.8% (4.4% – 5.3%) | 2.4% (2.0% – 2.7%) | ¥264,055 |
広島 | 4.8% (4.4% – 5.2%) | 2.4% (2.1% – 2.6%) | ¥238,875 |
神奈川 | 4.8% (4.6% – 5.0%) | 2.2% (2.1% – 2.3%) | ¥160,195 |
愛媛 | 4.7% (4.2% – 5.1%) | 2.2% (1.9% – 2.5%) | ¥247,342 |
宮崎 | 4.7% (4.1% – 5.2%) | 2.4% (2.0% – 2.8%) | ¥235,709 |
秋田 | 4.7% (4.2% – 5.2%) | 2.8% (2.5% – 3.2%) | ¥219,345 |
佐賀 | 4.6% (4.0% – 5.3%) | 2.8% (2.3% – 3.3%) | ¥233,157 |
山梨 | 4.6% (4.0% – 5.2%) | 2.3% (1.9% – 2.7%) | ¥191,488 |
埼玉 | 4.6% (4.4% – 4.8%) | 2.3% (2.2% – 2.4%) | ¥151,272 |
群馬 | 4.5% (4.1% – 4.9%) | 2.2% (1.9% – 2.5%) | ¥208,711 |
山口 | 4.4% (4.0% – 4.9%) | 2.2% (1.9% – 2.5%) | ¥248,632 |
青森 | 4.3% (3.9%- 4.7%) | 1.9% (1.6% – 2.2%) | ¥213,084 |
宮城 | 4.3% (4.0% – 4.7%) | 2.2% (2.0% – 2.5%) | ¥191,412 |
香川 | 4.2% (3.6% – 4.8%) | 2.1% (1.7% – 2.6%) | ¥243,645 |
長野 | 4.2% (3.9% – 4.6%) | 2.0% (1.8% – 2.3%) | ¥194,999 |
新潟 | 4.2% (3.9% – 4.5%) | 2.5% (2.2% – 2.8%) | ¥192,820 |
長崎 | 4.1% (3.6% – 4.6%) | 2.2% (1.8% – 2.5%) | ¥259,250 |
三重 | 4.1% (3.8% – 4.5%) | 1.8% (1.6% – 2.1%) | ¥194,425 |
千葉 | 4.1% (3.9% – 4.3%) | 1.9% (1.8% – 2.1%) | ¥158,745 |
奈良 | 4.0% (3.5% – 4.4%) | 2.1% (1.8% – 2.4%) | ¥207,181 |
茨城 | 4.0% (3.8% – 4.3%) | 1.7% (1.5% – 1.9%) | ¥171,339 |
福井 | 3.9% (3.3% – 4.6%) | 2.0% (1.5% – 2.4%) | ¥232,293 |
山形 | 3.8% (3.3% – 4.2%) | 2.0% (1.7% – 2.4%) | ¥211,407 |
静岡 | 3.8% (3.5% – 4.0%) | 1.9% (1.8% – 2.1%) | ¥185,693 |
福島 | 3.5% (3.2% – 3.8%) | 1.8% (1.5% – 2.0%) | ¥204,142 |
徳島 | 3.4% (2.9% – 4.0%) | 1.9% (1.5% – 2.3%) | ¥264,169 |
栃木 | 3.4% (3.1% – 3.7%) | 1.8% (1.6% – 2.0%) | ¥196,225 |
東京 | 3.4% (3.3% – 3.5%) | 2.0% (1.9% – 2.1%) | ¥194,947 |
岩手 | 3.3% (2.9% – 3.7%) | 1.6% (1.4% – 1.9%) | ¥200,099 |
我が千葉はこの表では医療費下から二番ですが、有名な一例として、人工呼吸器付けてる人にアルブミン製剤を投与すると全例切られますからね。蘇生後はもとより、ALSで意識あっても、若年の敗血症で救命可能性充分でも、どんな場合でも、詳記書いても、「過剰」の一言で切られるので、使えません(国立など一部施設では許されるとの話あり)。保険医療の水準を低医療費である自治体に合わせるという流れがありますが、結果どうなるか見ものです。
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いつも勉強させて頂いております。
医療費は医者の数に相関するため、心肺停止患者の予後は医療費ではなくて人口当たりの医者の数が重要なのではないかと考え、データを解析したところ、県別の人口十万あたりの医者の数は一か月後の神経学的予後と中程度の強さの相関関係があり(R=0.45)、医療費と一か月後の神経学的予後(R=0.35)よりも強い相関を示しました。
医者の数が減れば医療費も減るとしても、逆は成り立たないと思います。医者の数が医療のアウトカムと因果関係にあるとすれば、医療費の抑制がアウトカムに及ぼす影響については未知数なのではないでしょうか?
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コメントありがとうございます。医療費を検討することが重要だったのは、いま日本で県の人口一人当たりの医療費の格差が問題になっているからです。医療費が高い原因は医師数かもしれませんし、ベッド数かもしれませんし、MRIの数かもしれません。いずれにしても医療費と患者さんの予後との関係を示すことが、医療政策上重要であると考えました。この研究を(人口当たりの医療費ではなく)医師数を暴露因子にしてしまうと、政策への関連性(Relevance)が低くなってしまいます。「医師数」と「医療費」の関係に関しては、必ずしも原因と結果がきれいに分けられるわけではないと思います。例えばある県で近代的な病院が作られれば、患者さんが受診して、医療サービスの需要が高まります。そうすると病院は利益が出てくることもあり、(高い給与を提示できるため)医師を雇用できるようになります。個人的には、「人口一人当たりの医療費」は「医療サービスへのアクセスの良さ」を反映しているのだと思っています。アクセスが良い地域は医療サービスが消費されるので医療費が高くなり、その結果として医師数も増える可能性があります。また、この研究では暴露因子とアウトカムが線形の関係ではないので、相関係数はあまり有用ではないと思います。さらには、Ecological fallacyの問題もあるので、県レベルのデータではなく、患者さんレベルのデータを使う必要性があると考えます。
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コメントありがとうございます。
私は医療費とアウトカムが因果関係にあるのではなく、津川先生がおっしゃるところの医療費に反映される医療サービスへのアクセスの良さ(それはおそらく医者の数であり、ベッドの数であり、MRIの数)がアウトカムと因果関係にあると思うわけです。なので因果関係にある医療サービスへのアクセスの良さに介入するのではなく、因果関係にないだろう医療費をコントロールすることがアウトカムに影響するのか疑問だったのです。
ただよく考えてみたら診療点数が比較的低く、需要も減ってきている小児科医は減少傾向にあるので医療費が医療サービスへのアクセスの良さをコントロールする例はいくらでもありますね…。
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コメントありがとうございます。仮に私の仮説通り、県レベルの医療費が「アクセスの良さ」を反映しているとします。そして、現在日本で議論されているような県ごとに目標医療費を設定して、それを超えた場合に診療報酬が引き下げられるとします。そうするとアクセスが悪化して、患者さんの予後も悪化するリスクがあります。このアクセスを規定するのは医師の数だけではなく、病院の経営状況、看護師や事務方スタッフの数など諸々を含んだ複合的な要因だと私は考えていますが、それをサポートするだけのエビデンスはまだありません。いずれにしても政策のターゲットが「人口一人当たりの医療費」であったため、政策評価としてはこれを使うのが適切であると考えました。
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