(写真:Rubén Moreno Montolíu/クリエイティブ・コモンズ表示 2.0 一般)
平等(横並びに同じこと)と公平(公正でありフェアであること)の違い、ロールズがどのようにして公平な社会のルールを設定するべきだと考えていたかなどを以前のブログ(前半、後半)で書きました。確かにロールズの思考実験(原初状態と無知のベール)は様々なステークホルダーが意思決定に関わっているときに公平な制度設計をするのに有用だと思います。しかし、ロールズは健康に特別な価値を感じていたわけではないと言われています。医療機関に従事している人や健康に不安のある人は、当然のように人の命は地球よりも重いと考えていると思われます。日本人は特に健康に対する意識の高い国民ですので、健康を特別視することに違和感はないと思います。日本語には「命あっての物種(ものだね)」ということわざすらあります。しかし、世の中には健康よりも衣食住の方が重要であると考えている人たちもいます。その日食べるものにも困っている人にとっては、空腹をまぎらわすことができるほうが健康を維持することよりも重要かもしれません。さらには世界には生存権を憲法で規定していない国も数多くあります。つまり健康は特別なものであると言う価値観は必ずしも「当たり前のもの」ではないのです。はたして健康は本当に特別な価値を持つものなのでしょうか?
ノーマン・ダニエルズはハーバード公衆衛生大学院の倫理学の教授であり、ロールズのフレームワークを医療や健康のコンテキストで発展させたことで有名です。ダニエルズは、2007年に出版されたJust Healthの中で、なぜ人間にとって健康が特別な価値を持つものであるのかを考え、その中で以下のような3つの質問(Focal questions)とそれぞれに対する答えを導き出しました。ちなみにロールズやダニエルズはどうやったら公平な社会を作ることができるかを研究している学者ですので、ここので述べている健康がなぜ重要なのかと言う議論も「健康の格差」に関する議論であるととらえて頂けると良いと思います。
質問1.健康は倫理的に特別な価値を持つものなのか?
解答1.ダニエルズによると、健康は特別な価値を持ちます。それを理解するには2つのキーワードが必要になります。機能(Function)と機会(Opportunity)です。健康は正常な機能を可能にし、そして正常な機能は機会の平等につながるため重要であるとダニエルズは説きました。逆に健康を害すると、機能を維持できなくなり、その結果として本来ならば得られる機会を失ってしまいます。平等な機会が得られないと言うことは多くの人が不公平であると感じます。そして、不健康であることで機会の平等が得られなくなってしまうため、健康は倫理的に特別な価値を持つとダニエルズは考えました。つまり、健康そのものが特別な価値をもつという(やや日本的な)発想ではなく、健康は機会の平等の規定因子であるため、健康の格差を小さくすることが重要であると主張しました。
質問2.健康の不平等はどういったときに不公平になるのか?
解答2.ダニエルズによると、健康の不平等が社会によってコントロールできる要因(Socially controllable factors)によって引き起こされている場合には不公平(Unjust)になると考えました。具体的には、収入や資産の分布、労働環境、教育、公衆衛生的なシステムなどが「社会によってコントロールできる要因」にあたります。ダニエルズによると、社会が影響力を持たないことが原因で起きた不健康(遺伝的要因や環境によらないがんなど)によって格差が生まれてしまうのは仕方ありません(少なくとも社会にできることは少ないと考えられます)。一方で、経済格差や教育レベルが原因であり、社会がきちんと対応していれば防げる健康被害によって生じた不平等は不公平であり、社会全体として改善に努めなければならないと説きました。
質問3.健康に関する需要をすべて満たすことができない状況においては、どのように限りある資源を分配することが公平なのか?(公平な資源分配の方法)
解答3.ダニエルズによると、人々には異なる立場や価値観があるため、社会資源の分配に関してコンセンサスに達することは不可能であるとしました。あるグループを利するような制度設計をすれば、それによって損をするグループが必ず出てきてしまいます。そして、人に自分が損をしてまで他の人たちの利益を最大化するような意思決定を期待することには無理があります。よって意思決定のプロセスは、①フェア(公平)であることと②妥当であることの2つの条件を満たしている必要があるとダニエルズは説きました。フェアであることとは、つまり意思決定のプロセスが広く公開されており、透明性が担保されていることを意味します。そして、妥当であることとは、それを公平な考えを持った人が聞いた時に同意でき、容認できるような決定であるということです。この妥当であるとは、「理にかなっている」もしくは「筋が通っている」といったニュアンスであると捉えると分かりやすいかもしれません。
これを発展させて、ダニエルズがAccountability for reasonableness(A4R)と名付けたコンセプトがあります。日本語に訳すと「理にかなっていることに関する説明責任」となるでしょうか。ダニエルズはA4Rの4つの条件として以下のようなものを挙げました。
- 公平な考えを持った人であれば同意でき、容認できる内容であること。
- 意思決定の透明性が担保されており、誰でもその過程を見ることができること。
- 新しいエビデンスが見つかればその決定を再検討、修正するシステムがあること。そして、その決定に不満がある人は異議を訴えることのできる仕組みがあること。
- 上記の3つの条件が常に満たされていることを担保(強制)する仕組みが存在していること。
特に意思決定の透明性と妥当性に関しては、今の日本も学ぶことのできることが多いと思います。国民がより幸福に暮らせる社会を目指すためにも、政治の世界における意思決定がより透明性が高く説明責任を果たしたものになるためにも、日本にもこういったきちんとしたセオリーに基づいた意思決定のシステムが必要なのかもしれません。