病気の責任を個人に求めること(健康の自己責任論)の問題点

Obesity(写真:Sandra Cohen-Rose and Colin Roseクリエイティブ・コモンズ表示 2.0 一般

1.病気の責任を個人に求めることの倫理的な問題点

最近では日本でも喫煙や不健康な生活習慣で病気になった人には健康保険料を上げたりすることで、健康を維持するインセンティブを与えようという流れがあります。一方で、健康的な生活をしている人や、健康診断をきちんと受け入ている人の健康保険料を引き下げようという動きもあります。このような流れの裏には、不健康で病気になってしまうことは自分の責任であるという「自己責任論」であるというニュアンスが存在していると思います。確かに生活習慣など個人の行動によって病気になるリスクが変化することは疑いようがない事実です。しかし、病気になるかならないかに自己責任論を持ち出すのは倫理的に正当化されうるものなのでしょうか?

倫理学の世界では、これは「健康に関する自己責任論(Personal responsibility for health)」というトピックになります。インターネットでこのキーワードを検索すると様々な議論を見つけることができると思われますが、今回はハーバード公衆衛生大学院の教授であるダニエル・ウィックラーの2002年の論文を元に考察してみます。ウィックラーによると、健康に関する自己責任論は2つの相反するメッセージを与えることになるので注意が必要であるということです。一つ目は、個々人の健康に対する意識を高めるというポジティブなインパクトです。二つ目は、もし不健康な生活をしていた人が病気になってしまったときにその人のことを非難するというネガティブな影響です。この2つはそれぞれポジティブとネガティブな影響ですので、健康に関する自己責任論はそれが与えるメッセージという点に関しては、文字通り「諸刃の剣」であると考えられます。

それでは、病気になってしまったとことの原因を個人の責任に求めることは倫理的に正しいことなのでしょうか?ウィックラーはそれは間違った(ミスリーディングな)考え方であると主張しています。その理由として、以下のようなものを挙げています。

  • 個人の行動のうちどれが自発的(voluntary)で、きちんとした情報に基づいたもので(informed)、良く考えた上でのものである(deliberate)であるかは判断がとても難しい。たばこを吸ったりアルコール中毒になる人の教育レベルが低かったり、社会経済的(socioeconomic status)に貧しかったり、周りの人たちなど周囲の環境の影響も大きいため、個々人の合理的な判断(rational choice)の上に取られた行動であるかどうかは評価が困難である。
  • 責任の所在を個人に求めることによってその人の健康にネガティブな影響がある。例えば、喫煙者であるからと言う理由で(非喫煙者が受けられるような)最適な治療を受けられなくなってしまう可能性がある。
  • 病気が本当に個人の行動の結果によるものであるかを決めることは恣意的になってしまうリスクがある。同じような生活習慣をしていても病気になってしまう人もいれば、病気にならない人もいる。たまたま病気になってしまった人だけが責任が問われるのは不公平である。
  • たばこを吸う、カロリーの高いものを食べる、運動をしない、などの比較的小さな選択が、肺がんや心筋梗塞などの大きな健康上のアウトカムにつながることがあるため、その行動と比べて(病気になった責任という)不釣り合いなほど大きな責任を個人に負わせることになってしまう。

まとめると、病気の責任を個人に求めることで、病気になってしまった人が懲罰的なデメリットをこうむる政策は、貧しい人や教育レベルの低い人ほどペナルティーを受けるため社会の格差を広げる方向につながってしまうため、問題のある政策であると考えられます。健康的な生活をしている人に(保険料を安くするなどの)ボーナスを与える政策も同様の理由で問題があると考えられます。一方で、不健康な行動をしている人たちに介入していくことでその人たちの病気のリスクを下げるようなサポーティブな政策(喫煙者に対する禁煙サポートプログラムや、肥満者に対する減量プログラムの提供)であれば社会全体に良い影響があります。つまり、個人の行動の結果として病気になってしまった人たちのことを助けてあげることが真の目的であるならば良い影響がある政策であるものの、懲罰的な意味合いのあるものは(社会の格差が広まったり、差別につながる可能性があり)悪い影響の方が大きいと考えられます。

もちろんこのようなウィックラーの主張には同意する人も違和感を覚える人もいると思います。しかしながら、健康に自己責任論は一見すると「正義」に見えてしまうからこそ十二分な注意が必要になります。それによってどのような人がペナルティーやボーナスを受けるのか、それによって社会の格差は広がることは無いのか、(懲罰的な意味合いではなく)不健康な行動を取ってしまっている人たちを助けることを目的とした政策なのか、を慎重に考える必要があると考えます。

2.健康に関するインセンティブを与えることのエビデンス

もし健康に対して経済的なインセンティブを与えると、そもそも健康増進の効果はあるのでしょうか?残念ながらこれに関するエビデンスは否定的です。例えば、肥満に対してインセンティブを与えると人々は減量に成功するのかという研究のレビュー論文によると、あまり効果的では無いという結果が得られました。同様に、禁煙に対する経済的インセンティブに関するシステマティック・レビューによると、こちらもあまり効果的ではありませんでした。健康に対する経済的インセンティブのエビデンスに関してはこちらの記事が詳しいのですが、現時点では健康に対する経済的インセンティブは健康増進に対してそもそも効果的では無いと考えられています。

つまり、健康に対して経済的なインセンティブを与えることは、格差を広げてしまうリスクがあるだけではなく、そもそも健康増進につながらないので、二重の意味であまり好ましい政策ではないと考えられています。日本でも安易に自己責任論に流されないように、倫理的側面やエビデンスを十分考慮した慎重な対応が望まれます。

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