限りある資源をどのように分配したら良いのか?(配分的正義の原則)

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(写真:Aaron Bauerクリエイティブ・コモンズ表示 2.0 一般

皆さんも功利主義とかエガリタリアン(平等主義)といった言葉を聞いたことがあると思います。アメリカは功利主義の国だ、とか日本はエガリタリアンな国だから、という文脈で用いられることもしばしばありますが、これらのコンセプトをきちんと理解していますか?このブログのタイトルにあるように「正義」なんて言葉を聞くと仰々しくて自分たちに関係ない話題であるかのように思われますが、実際には限りある資源をどのように分配するのかを決めることは政策を考えるうえで必要不可欠なコンセプトです。必ずしもこのうちのどれかのスタンスを取る必要はありませんが、自分の立ち位置を客観的に理解するためにもそれぞれの用語と概念をご紹介いたします。

「配分的正義(Distributive justice)」では、財産や名誉をどう配分するのが公平なのかを問題にします。分配をできるだけ均一にするべきである考えるエガリタリアニズム、人々の満足度の総和を最大化するべきだと考える功利主義、個人の自由を重要視するリバタリアニズムなどがあります。それらのコンセプト及びそれに対する批判を一つずつ順番に見ていきましょう。

1.厳密な平等主義(Strict egalitarianism)

全ての人が全く同じレベルの物的財やサービスを有しているような社会を目指すべきであるという考え方です。全ての人は平等(平等と公平の違いに関しては以前のブログをご参考ください)であるべきだという概念に基づきます。

  • 【反論】問題としては、この制度によって平等になったものの、結果として全ての人が貧しくなってしまう可能性があります(崩壊前の旧ソ連の状態をイメージして下さい)。個々人が努力してもそれ相応の報酬が得られないので、フェアではないという考えもあります。さらには、人によって物的財を幸福度に「変換」する能力が違うので、物的には平等になったとしても、それをうまく活用できなくて幸せになれない人もいます(Poor convertersと呼ばれます)。具体的には、身体に障害のある人たちは健常人と同じだけの物的財を与えられたとしても、健康人ほどはうまく活用できないという可能性があり、その場合は物的財の分布だけ平等にしても、幸福度の観点からは不公平であるということになってしまいます。

 2.幸福度に基づく平等主義(Welfare egalitarianism)

個々人の幸福度が同じレベルになるように設定されるべきであるという考え方です。

  • 【反論】世の中には高級品を好む人たちがいて、その人たちは物的財が十二分に得られない限りは他の人たちと同じレベルの幸福度を得ることができません。さらには個々人の努力の程度と必ずしも比例しないため、人々の努力の量や達成度と得られるものとがかい離してしまう可能性があります。

3.運の平等主義(Luck egalitarianism)

個人間で資源の分布が不平等であることは、それが個々人の選択や意図的行為の結果もたらされたものである限りは正当化されうるという考え方です。つまり、「選択の運」の結果として生じた不平等は正当化されるものの、「自然の運」の結果生まれた不平等は問題があるので修正が必要であるという考え方です。

選択の運(Option luck)=株への投機のように、リスクを予期した上で賭けに出た場合に得をするか損をするかということ。

自然の運(Brute luck)=自然災害や本人に過失の無い交通事故のように、予期できないリスクに見舞われること。

  • 【反論】」しばしば、「選択の運」と「自然の運」を見分けることは困難であるため、どれが正当化される不平等なのか評価することは難しいと考えられます。

4.功利主義(Utilitarianism)

個々人の幸福度(Utility)の総和が最大化するように資源を分布させることが最善であるという考え方です。個々人の利益・利害は、その内容(価値の有無)やその人がどれだけ裕福であるか(もしくは貧しいか)などを考慮することなく、平等に扱われるべきであると考えます。

  • 【反論】幸福度の総和は最大化されるかもしれませんが、個人間の不平等や格差が考慮されていないため極端に不平等な社会になってしまうリスクがあります。全ての選考(好み)に価値があるわけではないので、それらを同様に扱っても良いのかには疑問が残ります。

5.優先主義(Prioritarianism)

限りある資源はもっとも恵まれない人たちのためにまず優先的に使われるべきであるという考え方です。これは、同じ量の資源が投入される場合、裕福な人たちに用いられた場合よりも、恵まれない人たちに用いられた場合の方がより多くの幸福度が得られると言う観点において正当化されうると考えます。

  • 【批判】社会の資源がすべて極度に貧困な人たちに使われることで全て消費されてしまう可能性があります。また、恵まれない人たちにどれくらいの資源を投入するべきなのかの判断が難しい場合があります。さらには、どの人たちが資源を分配するべき「恵まれない人」なのかは必ずしも明らかではありません。

6.自由至上主義(Libertarianism)

他の人たちにも十分(enough and as good)残されている限りは、自分たちの私的財産権もしくは私有財産制を主張しても良いと言う考え方です。個人の権利を最優先するため、社会的正義を目的とした富や資源の再分配制度には反対します。個人の自由(個人の身体と正当な物質的財産の所有権が侵害されていないこと)と所有権の観点から正当化されると考えています。日本語でもそのままリバタリアニズム※とも呼ばれることもあります。

  • 【反論】個々人の成功はその人の努力だけでなく、運、生まれながらの才能、相続財産、社会的地位などに依存するため不公平であると考えられます。個々人が基本的な自由を享受するためには、最低限の財が必要であるが、この制度ではその最低限の財を得ることができない人たちが生まれてしまうため不公平です。

★リベラル、リベラリズム

音の響きは似ていますが、「リバタリアニズム」と「リベラリズム(Liberalism)」とはまったく異なる考え方です。直接的には、「配分的正義の原則」には関係しませんが、実は日本においてはリベラリズムは極めて重要な考え方です。なぜならば、日本には真の意味でリベラルな政党が存在してないと考えられるからです。リベラリズムを特徴付ける2つのキーワードは①個人の権利と選択の自由②公正、です。

①個人の権利と選択の自由:リベラリズムは個人の権利と選択の自由を重要視します。よって、LGBT(性的少数者)や社会的なマイノリティーを認め、社会の多様性を尊重します。

②公正:リベラリズムは自由の前提となるものを重視して社会的公正を掲げるため、政府による富の再分配や法的規制など一般社会への介入を肯定し、それにより実質的な平等を確保しようとします。いわゆるアメリカのオバマ大統領が所属する民主党などはリベラルであり、皆保険制度を目指すなど、連邦政府の積極的な介入により格差の縮小を目指しています。

まとめると、リベラルとは個人の自由を重要視し、多様な価値観を尊重し、政府の介入などを通じて格差の小さい平等な社会を目指そうという考え方です。これらの複数のコンセプトがセットになって初めて「リベラル」なので、このうちの1つの考え方しか信じない人はリベラルであるとは言えません。

アメリカでは知識人や教育レベルの高い人の多くはリベラルであると言われており、その受け皿としてオバマやクリントンが在籍する民主党が存在しています。一方で、日本では真の意味でのリベラルな政党は存在していないため、例え価値観としてはリベラルな国民が一定数以上いたとしても、その受け皿が無いというのが現実だと思われます。

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