(写真:Ken Teegardin/クリエイティブ・コモンズ表示 2.0 一般)
あるレポートや雑誌の記事で「今まで使われていた薬と新薬を費用対効果分析を用いて比較してみたところ、新薬の方が費用対効果に優れていることが明らかになった」と言った内容を目にした場合、疑うことなくなんとなく新薬の方がすばらしい薬なのだと思ってしまった経験はありませんか?きちんと正しい方法論で解析が行われたのか批判的吟味していますか?費用対効果分析(Cost-effectiveness analysis [CEA])はその方法論が複雑ゆえに、十分な批判的吟味を行うことが難しいという特徴があります。普通のランダム化比較試験や回帰分析を用いた結果であれば、「このような可能性は考慮したのか?交絡因子がある可能性はないのか?」は考えれば理解できるため、きちんと評価することができます。CEAでも同じくらいきちんと評価できないと、例えば製薬会社が自社の薬の費用対効果が優れているという研究結果を出そうと思えばいくらでも出せてしまう、そんなリスクすらあるのです。
いつも通りコンセプトを中心にご説明します。これでCEAのイメージをつかむことができると思いますが、きちんと方法論を勉強したい方は成書をご参照ください。
CEAとは基本的には2つ以上あるオプションを「比較」して、その効果とコストを考慮すると、どちらがより費用対効果に優れている(=追加で支払わなくてはいけないコストよりも、それによって得られるメリット[効果]の方が大きい)を検証する研究方法です。もともとA薬という薬で治療されていた病気があったとして、新たにB薬が開発されたとします。そうすると、一番シンプルな指標はB薬の費用と効果の比を計算することですが(これを費用効果比と呼びます)、それではA薬と比較して優れているのか、そしてその結果として診療報酬に収載するべきなのかを検討することができません。そこで出てくるのが、2剤の比較である増分費用効果比(Incremental cost effectiveness ratio [ICER])です。このICERのことを「アイサ―」と呼びます。ICERの計算方法は下記に示します。
効果の部分をQALYで表現することで、ICERは「QALY1単位を得るのに必要なコスト」であると考えることができます。そして、この値があるカットオフ値よりも低ければ「費用対効果に優れている」と表現し、逆に高ければ「費用対効果に劣っている」と表現します。そのカットオフ値は、アメリカでは歴史的に$100,000、イギリスでは£20,000~30,000が用いられていますが、この値に科学的根拠があるわけではありません。さらには、例え費用対効果に優れているとしても、そのような薬や医療技術を無制限に保険でカバーしていけばコストの部分はどんどん増えていきますので、いつか財政破綻してしまいます。
では実際にはどのようにしてこのICERを計算しているのでしょうか?上記のA薬 vs. B薬の例でご説明します。ある難治性の病気が、今まではA薬で治療されていたとします。そして、6か月後に3割が死亡、6割の患者さんが障害が残りながらも生存、1割が障害なしで生存していたとします。そこに新しい薬であるB薬が開発されました。この薬で治療すると、死亡は2割、生存(障害あり)が5割、生存(障害なし)が3割という結果でした。このままだとこの2剤を比較するのはなかなか難しいのですが、ICERを用いることで比較できるようになります。
実際には障害が残るかなどでコストは変わるはずなのですが、計算のシンプルさを保つために、A薬は治療に75万円、B薬は100万円かかるとします。そうするとコストの部分は75万円 vs. 100万円なのでシンプルです。では効果の部分はどうでしょうか?
A薬とB薬を使った場合のそれぞれで期待値を計算します。つまり、3つのアウトカム(死亡、生存 [障害あり]、生存 [障害無し])のQOLスコアにそれぞれその状態になる確率をかけ算します。ちなみにこの「確率」のことをCEAでは「移行確率(Transition probability)」と呼びます。そうすると、A薬を使った場合のQOLスコアの期待値は0.52、B薬を使った場合のQOLスコアの期待値は0.65であることが分かります(計算の詳細は上図を参照)。
効果の差は0.65 – 0.52 = 0.13です。コストの差は100万円 –75万円 = 25万円です。この比がICERですので、ICER = 25万円/0.13 ≒192万円となります。これはアメリカの指標でも、イギリスの指標でも「費用対効果に優れている」と言うことができます。
実際にはこれよりもはるかに複雑なモデルを組むことになります。下記は筆者がTreeAgeという決断分析用のプログラムで解析した結果です。
このようなモデルに、それぞれのQOLスコア、コスト、移行確率を入力していきます。そしてそのデータは臨床試験や疫学研究など他の研究から取ってきて、モデルに挿入していくのです。データが見つからない場合には、もっともらしい値を挿入し、その後その値を変化させてみて結果が変わるかどうか見ます(これを感度分析 [Sensitivity analysis] と呼びます)。とくに移行確率のデータをきちんと集めることが難しいのですが(図中の白丸が分かれ道になりますので、全ての白丸に移行確率のデータが必要になります)、これらの前提となるデータが変わると結果が容易に変わってしまうことをなんとなく理解して頂けるかと思います。
私は個人的にはCEAは素晴らしい方法論であるものの、そこから得られる結果(推定値)は、前提条件によって簡単に変わってしまうかなり不安定なものであると考えています。よって、日本の診療報酬制度にHTAが導入されたとしても、製薬会社から提出されたデータと解析結果をそのまま採用するのではなく、独立した第三者機関が前提条件が正しいかどうか全てチェックして、自分たちで改めてプログラムを回して研究結果を再現することができるかどうか確認することが必須であると思われます。しかしそれを実現するためには常勤の解析者が相当数いる機関が必要になります。製薬会社や医療機器メーカーに再解析に必要なコストを負担してもらうのが現実的かもしれません。