費用対効果分析の限界と問題点

日本でも、薬価の設定に際して費用対効果分析(Cost-effectiveness analysis [CEA])を積極的に用いようという流れになってきています。これ自体は素晴らしい流れだと思うのですが、いくつか注意点があるのでここでご説明します。

まずは、CEAはあくまでも費用と効果の比ですので、製薬会社が薬価を引き下げていけばどこかで必ず「費用対効果に優れる」という結論にたどり着くということです。薬価が固定されていれば、費用対効果に優れる薬やデバイスだけを保険でカバーする、という本来の目的通りに使えるのですが、実際には費用対効果に優れるという結果が出るところまで薬価を引き下げるという効果しか無いかもしれません(このようにCEAの解析を逆計算し、費用対効果に優れるように薬価を推定する方法をValue-based pricingやThreshold pricing modelと呼びます)。さらには、CEAはその前提条件によって容易に結果が変わります。よって、新しい薬が費用対効果に優れるという結論を導くために、より有利な前提条件を選択する研究者が出てくるリスクがあります。もちろん感度分析を義務付けるなど予防策は講じられていますが、それで完璧に不正(前提条件を変えるだけで研究不正とは言えないかもしれませんが・・・)をブロックできるわけではないので、CEAはあくまでも研究者の倫理観に依存した研究手法であると捉えることができます。最後に、CEAはかなり労力のかかる解析方法であるため、多くの薬剤やデバイスでCEAをやるためにはそれだけの人的資源とコストがかかります。日本にはCEAの方法論に通じている研究者の数はそれほど多くありません。コストに関しては、国の負担分は税金になりますし、製薬会社の負担分は薬価に反映させようとしますので、誰かが負担することになります。いずれにしてもCEAを行うにはコストがかかるという意識を持ち、それを超える医療費抑制効果がある場合に限って実施するべきだと考えます。

本稿では、上記の3点を含めたCEAの限界と問題点を、方法論的なものと倫理的なものをそれぞれまとめてご説明します。ちなみにこのブログを読む前に、以前のブログを読んで頂くと理解しやすいかと思います(その1その2)。また日本では現在、CEAと医療技術評価(Health technology assessment [HTA])はほぼ同義で使われていると思います(微妙なニュアンスの差はありますが)ので、本稿でもそのように扱います。

1.方法論的な問題点

1-1.導き出される結果(推定値)が不安定である

以前のブログでご説明したとおり、まずは各事象がどのように関係しているかを図で表現します。そして、それぞれの状態から次の状態へ移行する確率(移行確率[Transition probability])を設定します。イメージで言うと下記のようになります。糖尿病の人がいたとします。一年後にそのまま合併症を発症していない確率をP1とします。1年後に脳梗塞を起こしている確率をP2として、心筋梗塞を起こしている確率をP3とします。こういった具合でP1からP8までの全ての移行確率のデータをそろえることで、はじめてCEAの解析を行うことが可能になります。しかしこれらの移行確率は臨床試験や疫学研究などその他の研究から持ってこないといけません。その数字も元となっている研究によって異なりますし、場合によっては移行確率のデータが存在しておらず、もっともらしいデータで穴埋めをしないといけないこともあります。「費用対効果に優れている」と言う結果が、これらのデータ(CEAの前提条件)を変えると「費用対効果に劣っている」という結果に容易になってしまうことをCEAに携わっている研究者は経験していると思います。もちろん感度分析をきちんと行うことでこの問題を解決しようとされていますが、それだけではこの推定の不安定さを全てカバーすることはできないと思われます。さらには、うがった見方をすると製薬会社が研究費を出してCEAを行った場合、これらの前提条件を変えることで費用効果に優れるという結論を導き出すことすら可能です。これは前提を変えているだけなので透明性さえ保てば「ねつ造」には当たらないものの、問題があることは明らかです。

DecisionAnalysis

 1-2.モデルが複雑化していくとブラックボックスになってしまう。

様々なデータを投入することができるのがCEAの優れた点なのですが、同時にあまりに多くの情報が投入されるとそのモデルが何を仮定しているのかが分からなくなり、ブラックボックス化してしまいます。複雑怪奇なモデルは「費用対効果が優れている」という結論を出したとしても、その元となっている移行確率の前提条件(どこからデータを持ってきているのか?データが存在しなくてもっともらしい確率を用いているのはどの部分なのか?等)が妥当なのかどうか検証のしようもなくなってしまいます。例えば、糖尿病のCEAモデルでアルキメデスと言うモデルがあります。これは疫学研究だけに留まらず、基礎研究など世の中に存在するありとあらゆる研究結果を一つのモデルにまとめたものです。もともとは研究から生まれたのですが、今となっては民間企業が管理しているため、他の研究者が使うためには高額な使用料を支払わなくてはいけません。下図を見て頂ければ明らかであるように、あまりに複雑すぎて完全なブラックボックスです。もしこのモデルを用いて行った研究結果が「費用対効果に優れている」というものであったとしても、それを信用して良いのか判断に迷います。

Archimedes.jpg

(出典:Eddy and Schlessinger, Diabetes Care, 2003

1-3.コストの部分に何を含めるべきか決まっていない。

CEAのコストの計算には一般的には実際にかかった医療費のような直接的なコストしか含まれません。しかし、病気になって仕事ができなくなると、それに伴う機会損失や社会にとっての損失(間接的なコスト)などが発生します。それを含めるべきなのか、どこまで含めるべきなのかがまだ決まっていないというのが実情であり、よって現実的には直接的なコストしか計算に含まれていないことが多いのです。

1-4.大きな集団が影響を受ける軽い病気と、少人数が影響を受ける重大な病気のどちらを優先するべきなのか解析結果に含めることができない。

例えば、0.1 QALYしかプラスにならない治療行為だが、10万人が経験する病気に対するものであったとします。一方で、命を救うことができるが(1 QALYプラスになる)、すごく少ない人数(100人)しか罹らない病気があったとします。前者の医療技術を導入することで、10万×0.1=1万QALYプラスになります。一方で後者では、100×1=100 QALYにしかなりません。CEAで保険収載を決めた場合、前者はカバーして後者はカバーしないということになりかねません。でも本当に多くの人が極めて軽い足らない病気のために、生きるか死ぬかがかかっている治療を諦めても良いのでしょうか?

実際にこれが問題になったのがオレゴン州です。1990年にオレゴン州は医療費高騰に対処するために、貧困者向けの医療保険であるメディケイドがカバーするべき医療サービスの優先リスト(Prioritized List of Health Services)を作成しました。このリストの作成にはCEAが用いられたのですが、その結果、多くの人が罹る虫歯を治療して王冠をはめるという医療行為はカバーされるものの、命にかかわる急性虫垂炎の治療はカバーされないという結論に達してしまいました。これは多くの人が持っている価値観とかい離するため大きな問題となりました。

 

2.倫理的な問題点

倫理的な問題点はWHOの2003年のCEAに関するレポートの中でハーバード大学医学部のDan Brookが説明しています(P289~312)。より詳しく勉強したい方はリンク先の原著を参考にしてください。

2-1.CEAは功利主義をベースにしており、公平性は問わない。

CEAは功利主義(詳しくは以前のブログをご参照ください)を考え方のベースにしています。つまり、QALYの総和が大きい方がより「費用対効果に優れる」という結果になり、その分布(公平性)に関しては一切問いません。次に述べる健常者 vs. 障害者の議論にもつながりますが、健常者がQALYを最大化する一方で、障害者がQALYを最小化したとしても、その総和が大きければ正当化されてしまいます。より恵まれない人に多くの資源を分配した方が良いのではないかと感じる人も多いと思いますが、その場合、CEAの結果から得られる結論は実感にそぐわないものになってしまいます。

2-2.障害者の価値を健常者よりも低く計算してしまう。

以前のブログでもご説明したとおり、健常者の寿命を一年延ばすのは1 QALYのプラスにつながるのですが、障害者(QOLスコアが0.7とする)の寿命を一年延ばしても0.7 QALYのプラスにしかつながりません。つまり、障害者の命一年には、健常者の命の70%の価値しかないことを暗に示しているのです。これがアメリカで高齢者向けの公的医療保険であるメディケアが医療技術をカバーするかどうかにCEAによるカットオフ値を用いてはいけないという一文が(障害者団体の働きかけで)オバマケアの時に導入され、CEAを用いた研究がアメリカで勢いを失った理由です。

2-3.子供も高齢者も同じ価値を与える。

QALYは子供の命一年も、老人の命一年も同じ価値があると考えます。健常な1歳児の命を一年延ばすことができても1 QALY、100歳の高齢者の命を一年延ばすことができても1 QALYのプラスになります。ノーマン・ダニエルズによると、全ての人は人生の中で各年齢のステージを全て経験するので、これは不公平ではないとしています。(ちなみにQALYに近い概念であるDALYでは年齢による調整がされています。)

2-4.誰の価値観を元にQOLスコアを算出するのか?

障害がある状態のQOLをスコア化する必要があります。すなわち病気で片足が無い状態が0.7なのか、0.5なのか評価する必要があります。一般的に、CEAでは一般人(健常人)がその価値判断をするということになっています。これはCEAは社会から見た価値観であり、社会を構成する大多数は健常な一般人であるという考え方に則っています。しかし、QOLが障害のある人と無い人で異なることが知られています。例えば健常人に「目が両方とも見えなくなったとしたらQOLはどれくらい下がりますか?」と聞くと、0.4くらいであると答えたとします。しかし、実際に全盲の人に聞くと、0.7くらいと言った具合に、健常者が評価するよりも高く評価することが知られています(これらの数字は架空のもので実際のデータに基づいたものではありません)。これは、実際に障害を経験している人は、例え障害を受けた直後には一度QOLが大きく下がったとしても、色々なことに順応していくことでQOLが再び上がるからであると考えられています。全盲になってある程度時間が経つと「思っていたよりも不便ではない」と感じるイメージでしょうか。いずれにしても、現在の健常の一般人の価値観を元に決める費用対効果は、障害者が判断した場合と異なる結論になるということは倫理上の問題点であると考えられます。

2件のコメント 追加

  1. novus_amor より:

    応援しています。ごめんなさい、これ以上の言葉が見つかりません。

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    1. 津川 友介 より:

      ありがとうございます!

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