(注)本文は医学部進学を考えている高校生とその親を対象に、アエラムック「AERA Premium 医者・医学部がわかる」に寄稿した文章(転載)です。
私は医療政策学者であるが、原点は「臨床医」にある。現在、医療政策・医療経済学の研究をしているのは、あくまで現場で働く医師、看護師、その他の医療関係者がスムーズに働くことができ、ひいては患者さんに最良の医療行為が施されることを望んでいるからである。医師や看護師が十分に機能していなければ患者さんに最良の医療を届けられないが、そのためには綿密にデザインされた「医療政策」が必要になってくる。
私の考える「これから求められる医師像」は、以下の三つを兼ね備えた医師である。
①医師の仕事に意義、やりがいを感じられること
②生涯にわたり勉強を続け、医学だけでなく社会に関する幅広い知識を持つこと
③医療経済学を理解し、ムダのない医療行為を行うことができること
一つずつ説明していこう。
医師の仕事に意義、やりがいを感じられること
これから医師になろうとしている人たちに一番重要な資質は、こつこつと毎日、目の前の患者さんに医療ケアを施し続けることに意義ややりがいを感じられるかどうかであると私は考える。
医学部に進学し医師免許を取得することの第一の目的は「臨床医」になること。将来、基礎研究がしたいのであれば、博士号を取得して最先端の一流の研究に接したほうが、早く一人前の研究者になれるかもしれない。一方で、医療ビジネスがしたいのであれば、MBAやMHA(Master of Healthcare Administration)のように医療に特化したビジネススキルを身に着けたほうが有用だと思う。
もちろん医師免許を持つことで、上記のような分野でも有利になるとも言えるが、本記事では、読者の医学部に入る目的が臨床医になることと想定し進めていく。
私は医療政策の世界に入る前に6年間、内科医として働いていたし、今でも日本に帰った時には、できるだけ臨床医として働くようにしている。臨床現場での経験が、今でも私の原点である。医師は毎日新しい患者さんに接し、患者さんの健康に関する問題を解決していくのが仕事だ。決して派手な仕事ではなく、むしろ地味な仕事である。
しかし、意義が感じられ、やりがいもある仕事である。医療行為を通じて病気で困っている人たちを助けることができ、それによって給料がもらえるだけでなく、しばしば患者さんから感謝されることもある、すばらしい仕事であろう。しかし、派手な仕事ではない。毎日こつこつと人のためになる仕事を続ける忍耐強さがないと医師という仕事は務まらない。
残念ながら、今後、医師を取り巻く条件は少しずつ悪くなってくることが予想される。これは勤務医、開業医にかかわらず、全ての医師に対して起こりうる変化である。
日本の医療費は40兆円を超え、2016年にはOECD(経済協力開発機構)諸国の中でもアメリカ、スイスに次いで世界第3位の医療費の高い国になった。日本の債務残高は対GDP比で230%であり、日本は世界で最も借金の多い国である。
これは医療費そのものの問題ではなく、経済成長が不十分であることが主な原因であると考えられているが、いずれにしても国の歳入が少ないため医療費に使えるお金は年々減ってくる。
日本の医療費の総額は国によって決められているため、医療費を引き下げれば、医療にかかわる業界は全て影響を受ける。医療費総額の絶対値が下がっていなくても、物価上昇率と比べて医療費の伸びが少なければ、実質的には、医療費は引き下げられているのと同じことである。
さらに、日本は医師数を増やし続けている。医療全体に使うことのできるお金が減って、医師の数が増えているので、医師一人ひとりの給与はおそらく下がってくるだろう。つまり、今後大きな経済成長が起こるか、もしくは医師数をあまり増やさない方向に舵が切られない限り、医師の所得は今後下がっていくと考えられる。医師は、住む場所や条件を選ばなければ仕事がなくなるということはないので、その点では他の職業よりは安定しているものの、医師の所得は少しずつ下がっていく可能性があるということを覚悟しておいたほうがよいだろう。
そんな時代だからこそ、医師の仕事に本当にやりがいを感じられることが、より一層重要になってくる。条件が悪くなってきても、そこに意義を見いだし、やりがいを感じることができれば、とても夢のある職業である。しかし、条件が良いという理由だけで医師という職業を選択した場合、条件が悪くなってくるとモチベーションを保つことは難しくなってくる。
生涯にわたり勉強を続け、医学だけでなく社会に関する幅広い知識を持つこと
医学部を目指している皆さんは、おそらくすごく勉強していることと思われる。私は、大学受験の時に人生で最も勉強していると思っていたが、それは間違いだった。医師国家試験のときに、再び人生で最も勉強したと思ったが、これも間違いであった。研修医の時も非常に勉強したし、ハーバード大学の博士課程の進級試験の時もこれ以上勉強できないというくらい勉強した。今後もおそらく「人生で最も勉強した」という時期がたくさんあることだろう。
人生はマラソンのようなものであり、勉強をしなくてもよくなることはない。だからこそ、短距離走のような勉強ではなく、一生涯ずっと続けられるような長距離走型の勉強法を身に着けてほしい。
逆に言うと、大学受験で失敗しようとそこであきらめてしまわず、目標を持ち学び続けていけば、後からいくらでも取り戻すことができる。
人生の中で困難は必ず訪れる。残念ながらそれは一度や二度ではない。ただ、そこで諦めてしまわず、その壁や失敗からいかに学び、努力を続けていくかによってその後大きな違いが生まれる。
そして、そのように最大限の努力を続けていけば、必ずその学んできたことを生かし人や世の中のために何かを生み出すことができる時がくるであろう。そういったことからも「勉強」の本質的な意義を理解することを願っている。
昔は、医学のことしか知らない医師もいただろうし、それでも問題はなかったのかもしれない。しかし、現在の医師は、社会に関するより幅広い知識を求められるようになってきている。
医療経済学を理解し、ムダのない医療行為を行うことができること
例えば、米国では2013年から退院後30日以内に再入院する患者さんの割合の高い病院には、経済的なペナルティーが科されるようになった。つまり、入院中に患者さんを診ていた医師が、退院後に患者さんがきちんと元気でいることに対しても責任を持つようになったのである。
そうなると、患者さんの病気のことだけでなく、どこに住んでいて、どのような家族がいて、どのようなサポートがあるかなど、患者さんの社会的背景も理解することが求められるようになってくる。日本も近い将来、このような医療の質に対して経済的なインセンティブが付されるようになるかもしれない。そうなると、医師には、患者さんの社会的背景や社会全般に関する幅広い知識が求められるようになる。
また、患者さんの病気の原因は社会要因にあるという考え方が一般的になりつつある。このような考え方は、「健康の社会的決定要因」と呼ばれる。
患者さんの糖尿病がコントロール不良なのは、患者さんの意志が弱くて食べすぎで運動不足だからなのではなく、患者さんの職業によって食事の選択肢が少なかったり、運動する時間や経済的余裕がなかったり、受けてきた教育や周りの人の影響でそのようになっているという考え方である。そのため、患者さんの治療をきちんとしようとしたら、医学的知識だけでは不十分となる。
健康の社会的決定要因まで掘り下げ、そこに介入していくことがこれからの医師には求められる能力である。医師は医学だけ理解していればよいという時代は、もはや過去のものとなりつつある。
今の日本では、病院やクリニックは、医療サービスを提供すればするほど、検査をすればするほど利益が上がるようにできている。
これは、いわゆる「出来高払い」であり、このシステムの下では、医療サービスは最適な量よりも多く提供されてしまうという問題がある。日本の医師が忙しく感じているのは医師の絶対数が少ないからではなく、提供されている医療サービスの量が多すぎるからであると、私は考えている。
OECDの13年のデータによると、日本の医師数は人口千人あたり2.3人であり、OECD平均の3.3人と比べれば、確かに少ない。一方、米国の医師数は2.6人と日本と大差ないものの、米国では医師不足は日本ほど問題になっていない。
OECDの中で最も医師数の多いのはギリシャの6.3人であり、こういった国に引っ張られて高めにOECD平均が算出されている可能性もあるが、いずれにせよOECDの平均値は、目標とすべき「最適値」ではない。
日本と米国で医師数がほとんど変わらないのに、現場での“医師不足感”が大きく違うのは、提供されるサービスの量が日本のほうが圧倒的に多いからである。外来受診回数や入院日数は、日本が米国より3倍ほど多い。つまり、同じだけの人的資源がありながら、3倍の業務量が発生しているともいえる。
なぜ、これほど医療サービスの提供量が多いのか。それは、日本が出来高払いを使っており、その単価が安く、薄利多売になっているためである(ちなみに、出来高払いでも単価が高ければ医療サービスの提供量をそれほど多くしなくても病院やクリニックは倒産せずに維持することができるが、そうすると莫大な医療費がかかるようになってしまう)。
出来高払いは医療経済学的に大きな問題があるシステムであることが判明しているため、多くの先進国は他の支払制度に変更しつつある。
日本も近い将来、新しい支払制度を導入することになるかもしれない。そうなった時に、医師には医療費の問題を意識しながら、目の前の患者さんにとって最適な医療サービスを提供するという健全なコスト意識が求められるようになる。
米国では2019年度から、医師個人に対しても業績を評価し、それに伴った医療費が支払われる仕組みが導入される。医師の業績は、①医療の質、②コスト、③診療行為の改善、④電子カルテの有効活用などによって評価されるようになる。つまり、高い医療の質を、より低いコストで提供する医師に対してより多くの報酬が支払われる仕組みになる。
全ての医療行為に伴う費用は、保険料や税金を通じて巡り巡って国民が負担することになる。そのため、医師には医療の質だけでなく、医療費に関しても説明責任が生じる時代が、すぐそこまで来ている。
なお、医療費が高くなりすぎているため、高齢者に対する医療サービスは保険から外すべきであるという考えには私は賛成できない。
医療の20~30%は無駄であるという研究結果がある。医師のなかには、風邪に対して抗生剤やイソジンのうがい薬を処方したり、残念ながら科学的根拠のない医療行為を行う人もいる。まずは、医師が患者さんにとって本当に必要で、科学的根拠に裏付けされた医療行為を行うようになれば、誰も不幸にすることなく、世代間の衝突も生むことなく、医療費を抑制することができる。
財源に限りがあるため、いかに医療の質を保ちながら医療費を抑制するかが日本にとってカギとなってくる。そして、これからの医師は、このような医療経済学的な知識をきちんと持ち、日々の診療において患者さんに本当に意味のある医療サービスのみを選択し、提供することができる能力が必要となってくる。
※発売中のアエラムック「AERA Premium 医者・医学部がわかる」(朝日新聞出版)に掲載。