
「がんの本を書きませんか?」
大手出版社の敏腕編集者である上村晃大さんは喫茶店の席に座るやいなや、話を切り出してきた。
上村さんとは「原因と結果の経済学」という本を出版したとき以来の付き合いである。
経済学部出身の上村さんは、休日返上して学会に出席するようなまじめな編集者である。トンデモ本があふれる出版業界の現状に一石を投じることができるような人のためになる本をなんとか出したいですよね、と以前から話していた。
その日も学会会場のすぐそばの喫茶店で会っていた。私が一時帰国して日本の学会で講演する予定があり、上村さんもその学会に出席していたので、そのあとに打ち合わせをすることにしたのである。
「ご存じないかもしれませんが、日本のがんの本の市場はひどいものです。本屋に行くとがんに関する本がたくさん売っていますが、私たち素人にはどれが正しい内容の本なのか全くわかりません。」
確かにこの問題は私も感じていた。なんとかするべきだと思っていたが、それは私の役割ではなく、がんを専門とする医師の誰かがいつか一般向けの良い本を書いてくれるだろうと思っていた。
私の専門は医療政策やデータ解析であり、がんではない。はじめはそう言ってこの話を断っていた。しかし、書店でもがんに関するトンデモ本が平置きで山積みになっている光景が頭をよぎった。どうにかしなければいけない。
誰かのためになること、さらにはどこかで苦しんだりつらい思いをしている人がいるのであれば、誰かがやってくれるだろうではなく、いま自分ができることを最大限やらなければならない。
他にもっとできる人がいるからやらなくてもよい、ではない。目の前に自分が少しでもできることがあるのであれば、それを最大限にやり抜き、さらに同じ思いを持つ人が続いてくれることを願っている。
がんという大きな問題に関する本を、専門家ではない一般の人が読んでもわかるように書くのは簡単ではない。
その時に、共著者として私の頭には2人のがんを専門とする医師が浮かんでいた。
著者の一人の勝俣範之先生はがんの治療を専門とする「腫瘍内科医」である。最近では「アライブ がん専門医のカルテ」というドラマで腫瘍内科医が取り上げらたが、そのパイオニアの一人である。以前、「がんは放置するべきだ」という内容のトンデモ本がベストセラーになり、医療界では問題視されたが、その時にその本の内容がなぜ間違っているか理路整然と説明した本を出版した。決して感情的にならず、むしろ愛情と敬意をもって間違った情報を修正しようとする姿勢が印象的だった。
大須賀覚先生はもともと日本で脳外科医をしていた経歴をお持ちで、今はアメリカで活躍しているがんの研究者である。ブログやツイッターなどでがんのトンデモ医療に関する情報発信をしている。「トンデモ情報で健康を害して苦しんでいる人がいる以上、医療に関して正しい情報を発信することはもはや医療者が果たすべき責任の一つなのではないか」と主張しており、クールで理路整然でありながらも、熱いハートを持ったがん研究者である。
一緒に一般向けのがんの本を書くならこの2人しかいなかった。
私はがんの専門家ではなく、医療データの解析が専門である。自分のスキルを生かして、世界中にある研究をレビューし、食事や運動などがんの予防を中心に、エビデンス(科学的根拠)をまとめ、医療の知識がなくても理解できるように平易な言葉で説明することを目指した。
私は2018年4月に「世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事」を上梓した。エビデンスに基づいた健康になれる食事を説明した本である。
おかげさまで「究極の食事」は10万部を突破し、多くの人に読んで頂くことができた。
それまでは医学のエビデンスを紹介した一般向けの書籍はほとんどなかったが、ここ2年で急激に増えてきたらしい。
私の本が、正しいエビデンスを紹介した一般向けの本でもきちんと書けば多くの人に読んでもらえる、と出版社の方に理解してもらう一つのきっかけになったのかもしれないと考えると、本を書いてよかったと思う。
大人のアトピー、子どものアトピー、正しい病院のかかり方などに関して、エビデンスに基づいた一般向けの本が出版されるようになってきた。歓迎すべきことである。
しかし、がんに関してはそう言った本がない。
この本を一冊読めばがんのことが一通り分かる。さらにその本の内容はきちんとエビデンスに基づいている。この2つの条件を満たしたがんの本が必要だった。
自分や自分の周りにがんになってしまった人がいる人は、まず最初にこの本を読んでほしい。
がんになるのが怖くてあまり詳しく知りたくない、という人も、勇気を出してぜひこの本を読んでほしい。相手(がん)のことをよく知れば、怖くなくなるかもしれない。がんになってしまう前に、そのリスクを下げる方法も書いてある。ワクチンで防げるがんだってあるのだ。
がん患者さんと接する機会のある医療関係者にも読んで頂きたい一冊である。一般向けに書かれた本だが、内容には最新のエビデンスも含まれており、ためになる情報があると思われる。患者さんのがんのことを説明するために利用して頂きたい。
がんは日本人の2人に1人がなる病気である。一人でも多くの人にこの本を手に取ってもらい、がんに関して間違った情報によってつらい思いをする人が一人でも減らすことができたら、私たち3人にとっては望外の喜びである。
津川 友介、勝俣 範之、大須賀 覚「世界中の医学研究を徹底的に比較してわかった 最高のがん治療」(ダイヤモンド社)2020年4月2日発売