私達の研究グループは、アメリカの65歳以上の高齢者で17の外科手術のいずれかを受けた約98万人を対象とした大規模な医療データを用いて、外科医の誕生日に手術を受けた患者の死亡率が、誕生日以外の日に手術を受けた患者の死亡率よりも高いことを明らかにしました。同じ外科医に治療された患者を比較しても同様の結果で、誕生日に手術を受けた患者の死亡率は、誕生日以外の日に手術を受けた患者の死亡率よりも1.3%(リスク差)増加していました(リスク比で+23%の増加率)。これは臨床的にも無視できない意味のある差だと考えられます。
慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科の加藤弘陸特任助教(研究実施時はカリフォルニア大学ロサンゼルス校[UCLA]訪問研究員)との共同研究です。
着信音や医療機器のトラブル、手術内容とは必ずしも関係ない会話など、手術中の外科医の注意をそらすような物事は多く存在しているといわれています。しかし、そのような手術中に注意散漫となる状況が、患者の死亡率に与える影響については、これまでほとんど検証されていませんでした。
本研究では、誕生日に外科医がより注意散漫になることや、手術をより早く終えようと急ぐことが原因で、外科医のパフォーマンスが変わるのではないかという仮説を立てました。そして外科医の誕生日を、注意散漫な状況と外科医のパフォーマンスの関係を検証する「自然実験」とみなし(多くの患者は執刀医の誕生日を知らないため、それを基準に手術日を選ばず、また緊急手術に限定することで患者が手術日を選択する可能性を少なくした)、外科医の誕生日と患者の死亡率の関係を検証しました。本研究の結果は、外科医のパフォーマンスが仕事とは直接関係のないライフイベントに影響される可能性を示唆しており、医療の質のさらなる改善をはかる上で有益な情報を提供していると考えられます。
本研究成果は、2020年12月10日に英国の国際学術誌「BMJ」のクリスマス特集号にオンライン掲載されました。
1.背景
手術のパフォーマンスは常に最適ではなく、20~30%の患者が手術後に合併症を経験し、5~10%の患者が手術後に死亡すると報告されています。そして、その合併症のうち40~60%が、死亡のうち20~40%が回避可能であったとの研究結果があります。
病院や医師に関するさまざまな要素が手術のパフォーマンスに影響を及ぼしていると考えられますが、外科医が目の前の患者の治療に集中できるかという勤務状況が、パフォーマンスに与える影響に関しては十分検証されてきませんでした。着信音や医療機器のトラブル、手術内容とは必ずしも関係ない会話など、手術中の外科医の注意をそらすような物事は多く存在しているといわれています。また、実験室で行われた実験では、外科医の注意をそらすような要素が外科医のパフォーマンス(タスク完了にかかる時間など)を引き下げる影響があることが示されています。しかし、これはあくまで実験であり、リアルワールドで外科医の注意をそらすような要素が患者にどのような影響を与えるのかは検証されていませんでした。
そこで今回、本研究グループは、誕生日に外科医がより注意散漫になることや、手術をより早く終えようと急ぐことが原因で、パフォーマンスが変わるのではないかという仮説を立てました。そして外科医の誕生日を、注意散漫な状況と外科医のパフォーマンスの関係を検証する「自然実験」とみなし(多くの患者は執刀医の誕生日を知らないため、それを基準に手術日を選ばず、また緊急手術に限定することで患者が手術日を選択する可能性を少なくしました)、外科医の誕生日と患者の死亡率の関係を明らかにすることを目的に研究を行いました。
2.研究手法・成果
アメリカの大規模医療データであるメディケアデータ(アメリカの高齢者を対象とした診療報酬明細データ)にCenters for Medicare and Medicaid Services(CMS)から入手した医師レベルの情報を結合し、手術を行った外科医の誕生日と患者の30日死亡率の関係を検証しました。この関係を検証する際、外科医の固定効果を回帰モデルに投入することで、同じ外科医が治療した患者について、その手術日が外科医の誕生日であったか、誕生日以外であったのかを実質的に比較しています。
もし患者の重症度が誕生日と誕生日以外で異なっている場合、仮に死亡率に差があったとしても、その差は外科医側の要因ではなく、患者の重症度で説明されてしまう可能性があります。そこで本研究では、患者の年齢、性別、人種、併存疾患、予測死亡率などに関して、外科医の誕生日に手術を受けた患者と誕生日以外の日に手術を受けた患者を比較しました。重症度に関しては、誕生日とそれ以外の日に手術受けた人達で差はありませんでした(図1、2)。
図1.誕生日とそれ以外の日に手術を受けた患者の重症度(予測死亡率)の分布の比較

図2.外科医の誕生日前後14日間における、患者の重症度(予測死亡率)の比較

この研究手法を用いて、2011年から2014年に47,489人の外科医によって行われた980,876件の緊急手術を分析したところ、誕生日に手術を受けた患者は、年齢、性別、人種、併存疾患、予測死亡率などの点で、誕生日以外の日に手術を受けた患者とほとんど差がないことが明らかになりました。その上で、患者の死亡率を比較したところ、外科医の誕生日に手術を受けた患者の死亡率は、誕生日以外の日に手術を受けた患者の死亡率よりも1.3%増加していました(表1、図3)。
表1.手術日(外科医の誕生日かどうか)と患者の術後30日死亡率との関係
外科医の誕生日 | 誕生日以外の日 | P値 | |
手術件数 (サンプルサイズ) | 2,064 | 978,812 | |
リスク補正後の術後死亡率 (95%信頼区間) | 6.9% (5.7%~8.1%) | 5.6% (5.6%~5.6%) | |
患者死亡率のリスク差 (95%信頼区間) | +1.3% (+0.1%~+2.5%) | Reference | 0.03 |
図3.外科医の誕生日周辺14日間における手術日と術後30日死亡率との関係

3.波及効果、今後の予定
本研究は大規模な医療データと計量経済学的手法を用いて、外科医の誕生日と患者の死亡率の関係について検証を行いました。そして、外科医の誕生日に手術を受けた患者と誕生日以外の日に手術を受けた患者を比較すると、外科医の誕生日に手術を受けた患者は死亡率が大きく増加していることを示しました。これは、外科医のパフォーマンスが仕事とは直接関係のないライフイベントに影響される可能性を示唆しています。誕生日以外でも注意散漫となりうるような特別な日には、外科医のパフォーマンスが低下している恐れがあります。患者がいつ治療を受けるかにかかわらず質の高い治療を受けられるように、注意散漫になりうる状況で勤務している医師に対する更なるサポートのあり方を検討する必要があると考えられます。今後の研究では、本研究で明らかとなった関係がアメリカだけでなく、日本でも存在しているのかを検証することに加えて、医師のパフォーマンスを変動させる要因をさらに検証し、高い医療の質の維持するために必要な知見を明らかにする予定です。
4.研究プロジェクトについて
本研究は、慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科の加藤弘陸特任助教(研究実施時はカリフォルニア大学ロサンゼルス校[UCLA]訪問研究員)、UCLAの津川友介助教授 、ハーバード大学のアヌパム・ジェナ准教授の共同研究によって実施し、アメリカの高齢者医療データであるメディケアデータを分析しました。
<研究者のコメント>
今回の研究結果により、外科医のパフォーマンスは一定ではなく、誕生日には下がる可能性があることが示唆されました。大規模な医療データと計量経済学的手法を用いることで、誕生日と手術のパフォーマンスの関係を検証することができました。医師のパフォーマンスが低下してしまう要因・イベントを特定することで、はじめてその対策を立案し、防ぐことができます。本研究は、大規模な医療データと計量経済学的手法の活用が予期せぬ医療の質の悪化要因の特定に貢献できることを示す好例であり、今後も医療の質の改善を図るうえで、本研究のように大規模なデータと計量経済学的手法を用いた研究結果が重要な役割を果たすと思われます。
<論文タイトルと著者>
タイトル:Patient mortality after surgery on the surgeon’s birthday: observational study(外科医の誕生日に行われた手術の死亡率)
著 者:Hirotaka Kato, Anupam B. Jena, Yusuke Tsugawa
掲 載 誌:British Medical Journal DOI:http://dx.doi.org/10.1136/bmj.m4381
【研究内容についてのお問い合わせ先】
慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科 特任助教 加藤 弘陸(かとう ひろたか)
E-mail: hirotaka.kato@keio.jp
カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA) 助教授 津川 友介(つがわ ゆうすけ)
Email: ytsugawa@mednet.ucla.edu