逆選択(Adverse selection)とリスク選択(Risk selection)

前にこのブログでも書きましたが医療保険で市場原理が通用しないのは、モラル・ハザードと逆選択の2つが主な原因です。前回、モラル・ハザードに関してご説明しましたので、今回は逆選択に関してご説明します。逆選択とリスク選択は一枚のコインの裏表であると考えることができるので、まずはこの2つを一緒にお話して、そのあとに逆選択にフォーカスしてもう少し詳しくご説明しようと思います。

(1)逆選択とリスク選択は一枚のコイン(選択 Selection)の裏表

逆選択(Adverse selction)とは、ある保険料において、不健康な人(高リスク群)の方が健康な人(低リスク群)よりもよりカバーの手厚い医療保険を購入すると言う現象のことを指します*。これは医療保険の購入者は自分の健康に関する将来のリスクをある程度理解していますが(不摂生な生活をしている、運動をしていない等の情報)、それと比べると保険会社(=保険者)が持っている保険購入者の健康リスクに関する情報は少ないために起こります。一方で、リスク選択(Risk selection)とは、保険会社が加入者をえり好みして、低リスクの人達だけに保険プランを売る現象のことを指します。つまり、情報の非対称性(Asymmetric information)などを利用して、保険の購入者がえり好みをすることで得をして保険者が損をするのが逆選択で、逆に保険者がいいとこ取りをすることで保険者が得をして保険の購入者が損をしてしまうのがリスク選択です。この「えり好み」もしくは「いいとこ取り」のことを経済学で「選択(Selection)」と呼びます。この経済学的な「選択」をコインに例えると、逆選択とリスク選択がこの一枚のコインの裏と表になります。ちなみにこの保険者による低リスク群だけをいいとこ取りするリスク選択のことを、英語ではクリーム・スキミング(Cream skimming)とも呼びます。これは牛乳からクリームを分離する過程を比喩に使っており、クリームを価値が高く、コストの低く、利益率の高い客(保険の場合は低リスクで将来医療サービスをほとんど消費しない保険購入者)に見立てて説明した表現になります。民間医療保険に依存しているアメリカの医療制度における経験では、保険会社が事務所をわざわざエレベーターのないビルの3階部分に設けて、高齢者や健康状態の悪い人が医療保険を買いに来れないようにすると言う現象が見られたと言われています。以下の章では、逆選択に関してもっと詳しく説明いたします。

  • 逆選択(Adverse selection)・・・不健康な人ほど保険料が高くてカバーの手厚い保険プランを購入し、健康な人ほど保険料が安くてカバーの手薄なプランしか購入しないという現象
  • リスク選択(Risk selection)・・・保険会社ができるだけ健康上のリスクが低く、コストが低く、利益になる顧客にしか保険プランを売らないようにする、「いいとこ取り」のこと

* 医療経済学的な定義では、逆選択とは高リスクの人の方が「より多い量の医療保険を購入する」ということになっていますが、一人の人間が3つも4つも同じ保険のプランに入っているわけではないので、「より手厚いカバーの保険プランを購入する傾向にある」というより実情に近い表現に変えさせて頂きました。

(2)逆選択が起こるのに必要な4つの条件

逆選択が起こるには4つの条件があると言われています。その条件とは、①被保険者のグループの中で健康状態が不均一であり、ばらつきがあること、②競合する医療保険のプランがあり購入者がプランを選べること、③保険の購入者と保険者との間に情報の非対称性が存在していること、④保険料が個々人の健康のリスクを反映していないことです。次の章で説明していますが、高リスクの人と低リスクの人が同一のリスク・プールにいて(健康状態が不均一)、それぞれの構成員がより自分にとってメリットの大きいプランに移動することで逆選択は起こります。情報の非対称性が全くなければ、保険会社が保険料を各人の将来の健康のリスクに合致させることで、逆選択は最小限に抑えることができます。これは個人レベルでのリスク補正(Risk adjustment)と呼びます。

(3)逆選択の結果―逆選択の死のスパイラル(Adverse selection death spiral)

逆選択がどのような現象で、どのような条件下で起こるか話しました。では逆選択が起こると何が問題なのでしょうか?逆選択が起こると、提供される保険の量は経済学的に最適なレベルよりも少なくなります。リスク分担(Risk-sharing)は不十分になります。そして、最悪の場合には市場自体が消滅してしまうこともあります。あなたの雇用主が2つの医療保険のプランを提供しており、好きな方を選ぶことができるとします。一つ目のプランは保険料は高いが、カバーが手厚いプランだとします(下図の左側のプラン)。例えば、こちらの手厚いプランは診療報酬でカバーされていない抗がん剤もカバーしているプランであるとします。一方で、もう一つのプランは保険料は安価である代わりにカバーがそれほど手厚くないプランだとします(下図の右側のプラン)。こちらは診療報酬でカバーされている医療サービスしかカバーされず、それ以外の保険外診療は100%自己負担であるプランであるとします。健康な若者(低リスク)はがんにかかるリスクは少ないですし、とりあえず目の前の保険料が安い方がハッピーなので、安価なプランを好みます。糖尿病の既往とがんの家族歴のある高齢者(高リスク)は将来の医療費のことが心配なので、高価で手厚いプランを好みます。その結果、高価なプランは高リスクの人が多くなり、安価なプランは低リスクの人で構成させる集団になります。高リスクの人達の多くは実際に多くの医療サービスを消費しますので、翌年の保険料の更新のときには保険会社が赤字にならないように価格設定され、保険料が上昇します。保険料が高くなると元々高価なプランに入っていた人達の中で比較的健康な人たちが、「大して医療サービスを使っていないのにこんなに保険料が高いんじゃ割に合わない」ということで安価なプランに移ってしまいます。その結果として、高価で手厚いプランはさらに高リスクな人達ばかりのグループになり(リスクが濃縮していくようなイメージを持って頂くと分かりやすいと思います)、保険料は年々上がっていきます。そして最終的には保険料が高くなりすぎて保険会社が提供できるプランがなくなってしまい、市場自体が消滅してしまいます。この現象を「逆選択の死のスパイラル(Adverse selection death spiral)」と医療経済学者であるデイビッド・カトラー教授は名づけました。

逆選択

逆選択の実例として、ハーバード大学の医療保険プランの例がとても有名ですので、ご紹介したいと思います。1995年にハーバード大学は職員向けに医療保険を購入するために使うことのできる各人当り一定のお金を提供し、実際の保険料との差額を被雇用者本人が支払うようにするという仕組みを導入しました。その前までは保険料の割合に応じて大学側がサポートしていたため、高額の医療保険プランほど大学側の負担額が大きい状態が問題になっていました。この時に、保険料が高価でカバーの手厚いPPOという保険プラン(どの医師、病院でも自由にかかることのできるプラン)と、保険料が安価でカバーの薄いHMO(指定された医師、病院にしかかかれないプラン)という2つの選択肢が与えられました。翌年の保険更新の時期になると、高価な保険料によって多くの比較的健康な人がPPOからHMOのプランに移動しました。年を追うごとにPPOの加入者数(下図のEnrollment)は減少し、高リスクの人ばかり残ったためPPOの保険料(下図のPremium)はどんどん高くなって行きました。逆にHMOのプランには健康な人ばかりが集まって行きましたので、保険料は年を追うごとに安くなって行きました。3年後の1998年には保険会社がもう常識的な価格の保険料ではPPOのプランは提供できないと判断し、PPOプランは市場から撤退することとなりました。これが「逆選択の死のスパイラル」が実際に見られた一例です。

Cutler and Zeckhauser 1998 Figure 1

Cutler and Zeckhauser 1998 Figure 2

参考文献:Cutler and Reber (1998), Cutler and Zeckhauser (1998)

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