プリンシパル・エージェント・モデル(Principal/agent model)

プリンシパル・エージェント・モデルとは、行為の主体である人(プリンシパル=principal)が、自らの利益のための労務の実施を、他の人や組織(エージェント=agent)に委任するコンセプトのことを指します(McGuire TG, 2010)。プロのスポーツ選手が海外で契約する時にエージェント(代理人)を立てますね。このエージェントと同じようなイメージで良いと思います。プリンシパルはエージェントと「契約」をして、エージェントがプリンシパルの利益を最大化するように活動します。プリンシパルとエージェントの間に情報の非対称性(Asymmetric information)が存在しているときにこのモデルは有用になります。プリンシパル自身が情報を十分に持っていて合理的な判断ができるのであればエージェントは必要ありませんが(もちろんプリンパル自身に時間が無くて自分で行動できないときなどもありますが)、プリンシパルが情報を少ししか持っていないときにはより詳しいエージェントと契約をすることにはメリットがあります。医療においては、プリンシパルは患者さんもしくは保険者(医療保険会社)であり、そしてエージェントは医師になります。話をシンプルにするため、このブログではプリンシパルは患者さんであるとします。

例えば、小さな男の子が公園で転倒して頭を打って、お母さんに連れられて近くのクリニックを受診したとします。お母さんは子供の頭のことが心配ですのでクリニックの先生に「どうしたら良いでしょうか?頭のCTを取った方が良いでしょうか?」と相談します。お母さんには医学の知識がないのでどうしたら良いか分かりません。そこで医学の情報をより多く持っている医師(情報の非対称性)に判断を委ねます。もしくはどうするべきかコンサルトします。これがプリンシパル・エージェント関係(principal-agent relationship)の「契約」が結ばれたと考えます(この場合はプリンシパルは患者さん本人ではなく、患者さん+患者さんのお母さんになります)。

プリンシパル・エージェント・モデル

問題は医療において医師が「不完全なエージェント(Imperfect agent)」であることです。医師が患者さんの利益を最大化するためだけに集中できている(=完全なエージェント)のであれば問題はありません。しかし現実には、医師は(1)患者さんの利益(健康)を最大化するという目的と、(2)自分の(経済的な)利益を最大化するという目的の、2つの相反する目的があるということです。実際には患者さんの健康上の利益を犠牲にしてまで自分の利益を最大化する医師はいないと思いますが、医学的にそれほど重要でない部分(英語でmarginalと表現します)に関しては影響を与える可能性があります。先ほどの転倒した男の子を医師が適切に診察したところ、大きな問題はないので帰宅して様子を見るのが良いと判断したとします。それを医師がお母さんに説明すると「先生、心配だから念のため頭のCTを撮ってください。」と言われたとします。ここで「念のため」頭部CTを撮影することは男の子の将来のがんのリスクを増やす可能性があるという研究結果があるので、不必要な頭部CTは避けたいものです。しかしこのクリニックにはCTがあってある程度使わないとクリニックが赤字になってしまうとしたら、「お母さんを安心させるため」という理由でCTを撮影する医師もいると思います。ここで、包括支払い方式(エピソード毎に定額のお金が支払われ、高額の検査をすと医療機関が赤字になるという仕組み)であればクリニックにとって赤字になるのでCTを撮影しないが、出来高払い(検査をすればするほど収入になる仕組み)であればCTを撮影するハードルが下がるという側面はあると思われます。もちろん総合病院の勤務医のように給与制度であればこのような経済的なインセンティブは直接的には働きにくいですが、それでも経営側からのメッセージやボーナスなどで間接的にインセンティブがある場合もあります。これが「医学的にそれほど重要でない部分に関しては影響を与える可能性がある」と私がご説明した理由です。医師は患者さんの健康上の利益と、自分の経済的利益の両方を最大限しようとします。もしこの患者さんの利益と、自分の利益が相反したときに、トレードオフが必要になります。これが医師が「不完全なエージェント」であると言われる所以です。これは医師が自分勝手であるとかプロフェッショナルではないという道徳の話ではなく、構造上な問題です。

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