経路依存性(Path dependence)―過去の歴史が将来を決める

経路依存性(Path dependence)とは、「あらゆる状況において、人や組織がとる決断は、(過去の状況と現在の状況は現段階では全く無関係であったとしても)過去のにその人や組織が選択した決断によって制約を受ける」という理論です。要は、ものごとにおいて歴史的経緯はとても重要である(”History matters”)ということです。元々は経済学の世界において開発された概念ですが、その後、政治学の世界で広く用いられるようになりました。医療政策における経路依存性に関しては後述するジェイコブ・ハッカーが1998年に出版した論文が大きな役割を果たしたと言われています。

経済学における経路依存性(Path dependence)

新古典派経済学においては、市場に複数の新しい技術が導入された場合、最も優れたものが広く受け入れられ、市場のシェアを確保することが予想されますが、実際にはそうでないことも多々あります。そのような状況を説明するために登場した新しい考え方が「経路依存性」でした。経路依存性によると、どの均衡(市場がバランスがとれて落ち着くポイントだと考えてください)へ収束するかは、その経路途中の小さな事象(スモールイベント)、すなわち偶然に支配されるとしています。その偶然の積み重ねの結果、ある均衡へ収束するのであり、従来の理論のように最初から合理的にある均衡へ収束するわけではないとされました。したがってその均衡が最も合理的なのかどうかも分からないとされました。例えば、タイプライターのときに使われていたキーボードの並び順であるQWERTYが今のパソコンでも同じように使われているのもたまたまこれが既に広まっていたからですし、家庭用ビデオにおいてベータマックスではなくてVHSテープが受け入れられたのも質で勝っていたからではなくて先に広まったからであると言われています(VHSの方が長時間録画できたという意見もあるようですがここでは細かい議論は避けさせて頂きます)。ポール・クルーグマンがノーベル経済学賞を取った産業立地論もこの経路依存性を元にした考え方であるとされています。この産業立地論とは、産業の当初の立地については、偶然の要因が非常に大きいものの、一旦そこである産業が発達すると、そこに次の産業がおこり、集積の利益が発生するという理論です。

政治学における経路依存性(Path dependence)

この経路依存性はその後、政治学の世界に持ちこまれ、様々な政治的決断が過去の歴史的背景に大きな影響を受けているのではないかと考えられるようになってきました。そして、アメリカの政治学者のジェイコブ・ハッカーが、アメリカの医療政策を経路依存性の考え方を用いて検証した論文を1998年に、を2002年に出版し、注目を集めました。この本の中でハッカーは、アメリカで公的年金制度を導入することができたにもかかわらず、公的医療保険が長年にわたって導入できなかったことに着目しました。アメリカン・エクスプレスのように1875年から私的年金制度を設けていた企業もあったものの、1935年の段階にアメリカの労働人口のうち私的年金制度でカバーされていたのはわずか4%でした。ルーズベルト大統領がニューディール政策によって公的年金制度が導入しようとした時に、すでに私的年金制度を有していた企業は反対したものの、数が少なかったためその反対はそれほど大きなものではありませんでした。それでもアメリカは、その後しばらくの間、私的年金と公的年金の二重構造にならざるをえませんでした。アメリカの医療保険も似たような経緯をたどったにもかかわらず、公的医療保険による皆保険制度を導入することはできませんでした。公的医療保険制度に反対していた企業たちは、まるでルーズベルト大統領のときに公的年金制度の導入を食い止めることができなかった失敗から学んで、私的医療保険を広く提供することで公的医療保険制度の導入を弱体化させることができると考えたかのように、従業員に対する民間医療保険の提供を拡大していました。ニューディール政策が導入されたおよそ10年後のトルーマン大統領の時に公的医療保険による皆保険制度を求める声が高まったのですが、この時点でアメリカの大企業の2/3は民間医療保険を従業員に提供していました。そのため、公的医療保険制度に反対する利益団体が力が年金のときよりもずっと強かっただけでなく、公的医療保険を求める国民の声も小さなものになりました。その結果、アメリカはこの時には皆保険制度を導入することができず、オバマ大統領が2010年に皆保険制度を達成するまで実に50年以上の時間がかかりました。歴史的な「今までたどってきた道」がいかに重要かを示した一例としてハッカーの本で説明されています。

各国でどのような医療保険制度が導入されているかにも経路依存性が大きな影響を与えています。アメリカの医療保険が雇用と結びついた医療保険(Employment-based health insurance)であるのは、第二次世界大戦のときの賃金統制(Wage freeze)が発端となっています。戦争で働き手の多くが戦地に赴いたため、アメリカ国内の労働者の数が足りなくなりました。各企業が労働者を取り合って賃金を上げていくことでインフレになることを心配したアメリカ政府は、賃金統制を行い自由に賃金を上げられなくしました。福利厚生はこの賃金統制の適用外であったため、各企業は福利厚生、その中でも医療保険を提供することで人材を確保しようとしました。この時にアメリカ国民の多くが雇用者が提供する民間医療保険によってカバーされるようになったため、オバマケアによって皆保険制度が導入された現在でもこのEmployment-based health insuranceがアメリカの医療保険制度の土台になっています。

日本は1961年に国民皆保険制度を達成していますが、これにも経路依存性が大きな影響を与えていると考えられます。日本の皆保険制度は、①アメリカのように雇用と結びついた職域保険(組合健保、共済組合、協会けんぽ)と、②居住地に基づいた地域保険(国民健康保険)の2段階構造になっていますが(この2つに加えて75歳以上がカバーされる後期高齢者医療制度があります)、これも歴史的経緯の影響を受けています。戦前から、公務員や労働者は職域保険でカバーされており、一方で、農村の農民たちは地域保険*でカバーされつつありました。第二次世界大戦中の富国強兵の時代に、健康な兵士および健康な国内の労働力を確保するために、日本国政府はすでにあった医療保険制度のカバー率の拡大を推し進めました。敗戦後には、GHQはすでに存在していた2段階構造を維持させることにしました。戦後の高度成長期には、経済成長伴う格差の拡大と、社会主義の台頭への対抗のために皆保険は政治的スローガンとなり、1961年に職域保険でカバーされていない人の国民健康保険への加入が義務化されることで皆保険が達成されました。現在にわたるまで職域保険と地域保険の2段階構造が残っているのも経路依存性であると言うことができます。

*日本の地域保険制度の発端は1835年に福岡県の宗像(むなかた)という地域で作られた地域に根差した医療保険(Community-based health insurance)である「じょうれい」(定礼または常礼)とされています(1716年には別のじょうれいが施行された可能性もあるとされています)。これは飢饉のときに農村に医師をつなぎとめておくのが難しくなったため、村が住民から米を前払いで徴収し、医師に安定した報酬を確保したのがはじまりあるとされています。

経路依存性の重要性

今後日本の医療制度が変わっていくにあたっても経路依存性がとても重要であると考えられます。過去に誰がどのような決断をしたのかを学ぶことで、現在の日本の医療制度が今のような形になった理由が分かるだけではなく、今後日本が取りうる方向性にどのような選択肢があるかが決まってきます。ハーバードの外科医兼ジャーナリストであるアトゥル・ガワンデも述べているように(記事)、医療制度はしばらくシステムを止めてその間に大きな改革を行うというわけにはいきません。改革している間にも医療サービスを必要している人達がいるわけであり、大規模な改革をすることでその人たちが命にかかわる健康被害を受けてしまう可能性もあります。日本の医療制度の歴史的背景を十分理解しつつ、現在のシステムを大きく損ねない範囲で、より良い方向性に向かうような変化を加えていくことが、良い医療政策なのかもしれません。