医師の人材流出の倫理学

Peadetric doctors at Donka hospital reviewing mealses cases(写真:Julien Harneisクリエイティブ・コモンズ表示 2.0 一般

日本ではあまり問題になっていませんが、グローバルヘルスの世界では医師の国外流出、いわゆる「頭脳流出(Brain drain)」(優れた人材の流出のこと)は大きな問題になっています。一見すると、日本の医療政策にはあまり関係ないように思われますが、実は日本国内の医師の偏在やへき地の医師不足とも多くの共通点のある問題だと思われます。これらの問題に関して倫理学的な観点からどのような議論が行われているか、その一端をご紹介します。

今回はハーバード大学医学部の倫理学者であるNir Eyal准教授の考えをご紹介します。より詳しく勉強したい人は2008年の論文をご参照ください。

まず、そもそもなぜ頭脳流出は問題なのでしょうか?それは、頭脳流出によって損をするのはへき地の貧困状態にある人たちであるからです。まずは医師の流出元の発展途上国の立場から、メリットとデメリットをまとめてみましょう。

メリット

  • 仕送り・・・流出先の先進国で仕事に就くことができた医師は自国に仕送りをします。この仕送りによって自国が豊かになります。しかし、このように先進国で医師として働くことできる人の家族の多くは中流階級であり、(貧困層ではないため)メリットは大きくないと考えられます。
  • 将来の帰国による技術や知識の発展・・・先進国に移り住んだ医師は将来、自国に帰ってきて後進の育成にあたったりして技術や知識の発展に貢献することが期待されます。しかしながら、実際には大多数の医師は自国に戻ることなく先進国での生活を続けることになります。

デメリット

  • 流出元の発展途上国の人的資源の不足につながる・・・優秀な医師が国外に流出することで、流出元の途上国では、人的資源の不足によって産婦死亡率や乳児死亡率の上昇につながるリスクがあります(そしてこれらは国連ミレニアム開発目標であり、目標達成に悪影響を及ぼします)。さらには現地の人は医療サービスや薬へのアクセスが悪くなる可能性があります。このようにもともと脆弱で困窮している貧困層が最も大きな打撃を受け、不公平を悪化させる方向に作用します。

上記のメリットとデメリットを天秤にかけると、明らかにデメリットの方が大きいと考えられます。つまり、ちょっとのメリットはあるものの、総じていうと流出元の途上国のへき地の貧困層が最も大きな打撃を受け、流入先である先進国の裕福な層がより豊かになるように作用するため、世界規模で見た格差を広げることになるため不公平であると考えられます。

じゃあ医師がどこで働くことができるかを制限すれば良いのかというとそれほど簡単でもありません。居住移転の自由、職業選択の自由、外国移住の自由と言った個人の権利を制限することになるからです。つまり、医師の頭脳流出とは、(居住移転の自由などの)個人の権利 vs. 頭脳流出によって悪影響を受けてしまう貧困層や患者集団の権利と言う「つな引き」であると言うことができるのです。ちなみに日本国憲法(日本国憲法第22条)でも上記のような個人の自由は保障されているので、へき地の医師不足があるからといって強制的に医師をそちらに移住させることは憲法に抵触する可能性があります。

日本国憲法第22条

条文

  1. 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
  2. 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

ちなみに、Eyal氏は解決策の一つとして、「地域に根付いた医学教育(Locally relevant medical training)」を挙げています。つまり、途上国のへき地で医師の教育をするときには、検査機器やCTやMRIの無い状況下で適切に診断できるように身体所見を重視したり、治療に関しても現地で手に入るオプションの中で治療することを教えます。そうすると、このようなプログラムでトレーニングされた医師は、すぐにCT・MRIを撮影して最先端の治療法を提供する先進国の施設では、有能であるとなかなかみなされないため、先進国で就職することが困難になります。なんとなく裏で若い医師の手足をしばっているような感覚がしてすっきりしませんが、強制することができないのでNudgeする感覚に近いのではないでしょうか?

日本でも医師の偏在やへき地の医師不足は問題になっています。以前のブログでもお書きした通り(その1その2)、私は個人的にはこの問題を解決するために医学部を新設することには反対です。医師数の調整は各医学部の定員を増減することで微調整するべきだと考えています。その上で、医師にへき地に行ってもらうような仕組みを導入することが必要です。上記のように、強制することは憲法違反になる可能性もあり、穏やかではありません。やはり強制的に人を動かすのではなく、きちんとインセンティブを与えることが重要だと考えます。

医師の偏在を緩和するためには、いくつかの方法が考えられます。一つ目の方法は、へき地での一定期間の勤務を要件とした奨学金制度(返済義務なし)の設立です。地域枠などで現地に残る確率の高い学生を多く採用するという不確実性の高い政策よりも、確実に若い医師にへき地に行ってもらうことができますし、将来の医師の分布の予測も容易になります。二つ目は、アメリカのように専門研修できる人数を地域ごとに制限する方法です。例えば整形外科のトレーニングをその地域で5人しかできないとすると、その5人はマンパワーとして確保できるだけでなく、その後期研修医の数にあった症例数が決まってくると予想されます。また、指導医も後期研修医がいなければ症例数の上限が自然と決まってくるので、指導医の数も非常にざっくりとした形ですが、ある程度想定することができるようになります。

個人的にはよりゴール設定が明確で透明性の高い一つ目の奨学金制度の設立の方が良い政策だと考えています。いずれにしても、日本が今後どのようにして限りある財源の中で、へき地の人たちにも質の高い医療サービスを届けることができるようになるのかを注目したいと思います。

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2件のコメント 追加

  1. いつも勉強させていただいております。循環器専門病院の医師です。
    へき地医療従事=いわゆるメカを使った診断ではない=劣った医学
    という偏見はworld wideなものなのですね。しかし我が国だからこそ、いや諸外国(むしろ両方の医療診断学の価値を知る先進国)においても、experienced based, diagnostic skillを生かした医学の有用性は顧みられていると思います。もしかしたらこの分野においては人知+IT技術のsaportが威力を発揮するかもしれないと思います。

    いいね: 1人

    1. 津川 友介 より:

      Taniguchi様、コメントありがとうございます。へき地医療=劣った医学という考え方を多くの人が持っているかどうかは分かりませんが、私は違うと思っています。必要とされるスキルセットが違うのだと思います。CTがいつでも撮れる環境で必要とされる医学的知識と、検査機器が全くないところで必要とされる知識は違うと思います。さらには、途上国のようにマラリアやデング熱を毎日のように診断する地域と、アメリカや日本の都市部のようにそのような感染症を見ることのない地域で必要となるスキルは違います。よってそれに合わせたトレーニングを積むことで、よりコンテキストに合った質の高い医療を提供できるようになるだけでなく、医師の都市部への流出を防ぐことができるのではないかというのがEyal先生の主張なのだと思います。

      いいね

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