日本でも医師誘発需要は問題なのか?

以前のブログで医師誘発需要に関してご説明させて頂きました。医師誘発需要は、適切な医師数の設定や地域医療構想を計画するにあたってもとても重要なコンセプトです。もし医師誘発需要が存在していないのであれば、患者さんの医療サービスに対する需要は一定のままです。この状態で医師数を増やしていけば、いずれ患者さんの数に対して医師の数が多くなり、医師の仕事がなくなるので、医師は他の地域に行くか、もしくは他の診療科に変わるかしないと医師は給与をもらえなくなります。医師数を増やしても総医療費は増えません。一方で、医師誘発需要があるのであれば、医師数を増やしていくのと平行して医療サービスに対する需要も増加していきますので、当初予定していた医師数を達成することができても「医師不足感」は解消されず、医師はへき地に行かなくても診療科を変えなくても仕事があり給与がもらい続けることができます。この場合、医師数を増やしていくと総医療費も増加してしまいます(日本の場合は総医療費が決まっているので神慮報酬点数が引き下げられ医療サービスの単価が下がります)。

医師誘発需要はアメリカでは昔からよく研究されているテーマであり、存在するということでコンセンサスが得られていますが、はたして日本にも「医師誘発需要」はあるのでしょうか?

2014年に発表された世界銀行による日本の医療制度のレポートの中に興味深いデータがあります。池上直己先生の研究になりますが、2002年に日本でMRIの診療報酬点数が30%ほど引き下げられた時のMRIの撮影回数へのインパクトを評価しています。医療サービスの単価が下がった場合、3割を負担する患者さんにとっては経済的負担が小さくなり、患者さんサイドの需要は上がると考えられます。これはランド医療保険実験からのエビデンスより明らかです。この研究では医療の自己負担割合を変えるとどうなるか検証したもので、自己負担割合が下がると医療サービスに対する需要が増加することが分かっています。医学的にはMRIを撮影してもしなくても良い状況のときに、自己負担額が安いのであれば「じゃあ、念のため撮っておいてください」という患者さんが増える可能性があります(患者さんが医療サービスの価格を十分に説明されているという仮定が必要ですが・・・・)。一方で、医療提供者側にとっては、MRIの単価が下がれば、医療サービス当たりの収入が減ってしまい、よってMRIの提供量は減ると考えられます(MRI撮影に必要なリソースを他のことに再配分します)。

以上より、もし医師誘発需要が存在していないのであれば、MRIの単価が下がればMRIの需要は増加します。その一方で、医師誘発需要が存在しているのであれば、需要の変化は「医師誘発需要(↓)」と「患者さんサイドの需要(↑)」との差ということになります。

では実際のデータを見てみましょう。下図で横軸は年度、左側の縦軸はMRIの撮影回数、右側の縦軸は医療費を示しています。2002年にMRIの診療報酬点数が30%カットされた直後に、日本全体で撮影されたMRIの回数が減少していることが分かります。このタイミングでMRIを必要とする病態が急激に減った可能性は極めて少ないと考えられます。患者さんの自己負担が下がったにもかかわらず、患者さんのMRIに対する需要が下がることも考えられません。そうなると、MRIが儲からなくなったために、医師が患者さんにMRIを勧めなくなったという説明が一番考えられます。医師が患者さんにMRIを勧めることでMRIの撮影回数が増えるとうのは、正に日本でも医師誘発需要が存在していることの間接的なエビデンスになります。

MRI trend

(出典:池上直己、2014

これは観察データですので、もちろんロバストなエビデンスではありません。しかし、医師誘発需要が日本でも存在していて、医療費や医療サービスの提供量に影響を与えているということを示唆しているデータであると考えらえます。

2003年前後に(単純)MRIの撮影回数が減少したのと同じタイミングで、実は特殊MRIが倍増しています。2002年に単純MRIは診療報酬点数が切り下げられましたが、特殊MRIの点数は据え置きでした。今まで単純MRIを撮影されていた患者さんが、特殊MRI(MR angiographyなど)を撮影されるようになったと推測されます。2002年前後に単純MRIが必要となる病態が減って特殊MRIが必要となる病態が増えたというシナリオは考えにくいですし、患者さんが急に特殊MRIを希望するようになったと言うことも無いと思います。よって価格変動に伴って医師が単純MRIから特殊MRIに切り替えた(患者さんに説明して誘導した)と考えるのが現実的で、つまりこれも広義の医師誘発需要であると考えられます。

※当ブログに掲載されている内容の無断転載はご遠慮ください。

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5件のコメント 追加

  1. 菅野隆 より:

    最近、ちょっとした会社の経営上の問題があり(株主と経営者間(実際にそんな場面に遭遇するとは思いませんでした))、プリンシパル・エージェント・セオリーを調べていて、こちらを読ませていただきました。大変、興味深いですね。公的医療の場合、患者(生活者)がプリンシパルで、公的医療システム構築、運営者(政府など?)がエージェントということかもしれませんね。日本では、高齢者人口が増加し、医療費も増大する傾向があるでしょうから、医療の費用と質を考えるとき、非常に有用なインサイトに思われました。これからも、よろしくお願いいたします。

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    1. 津川 友介 より:

      菅野隆様、
      コメントありがとうございます。公的保険であっても民間保険であっても、医療に関してはエージェントは医療提供者(主に医師)になります。エージェントの役割は、情報の非対称性(ギャップ)を埋めることですので、医療のことを十分に分かっていて、プリンシパルである患者さんの価値観も理解し、その人にとってベストな選択を代わりにしてあげるということになるからです。保険者や政府はマクロの制度設計はできても、患者さん一人一人の代理人にはなれないと思います。日本の野球選手が大リーグに行くときの「エージェント」をイメージして頂くと良いと思います。選手会や野球の運営団体は全体のシステムの最適化はできますが、一人一人の選手それぞれにとってベストな選択(それは全体にとってはベストでないことも多い)を選ぶことができないのと近いと思います。また何かあれば気軽にコメント頂けると幸いです。よろしくお願いいたします。
      津川

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      1. Takashi Kanno より:

        津川様、時間をおいて、このサイトに戻ってまいりました。お返事をいただいていたのですね。有難うございます。ところで、1人の患者に対して、複数のプリンシパル(?)(医師、薬剤師、理学療法士、鍼灸師、etc.)が想定できるような場合があれば、問題は複雑化しそうですね。良いホリデーシーズンをお迎えください。菅野

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      2. 津川 友介 より:

        菅野様、一般的にはプリンシパルは、医療のことおよび患者のことを十分に理解している「代理人」ですので、かかりつけ医(プライマリケア医)のことを指すことが多いです。薬剤師、理学療法士、鍼灸師などはそれぞれの専門分野のことは分かりますが、情報を統合して総合的に判断するような医学的知識を有していないことが多いからです。

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  2. Takashi Kanno より:

    津川様、新年おめでとうございます。今回もお返事をいただきまして、まことに有難うございます。おっしゃる通りですね。ところで、以前の当方のコメントを読み返したところ、プリンシパルとエージェントが逆になっていました。大変失礼しました。さて、プライマリケア医が定まっている人は良いですが、そうでない場合、何か起きて、急性期の病院に行って手術等を受け、次に、回復期の病院に転院し、その後、無事に退院し、在宅で治療やリハビリを継続するとなると、エージェントである医師が交代することになりますね。裁判でも、審級が変わると、訴訟代理人である弁護士が変わったりするので、ありえる話なのでしょうが、医師の間で、患者の診療情報を、引継ぐ、又は、共有することになりそうで、興味深いと感じました。今年もよろしくお願いいたします。もし、一時帰国をされるような機会があれば、お知らせいただければ嬉しいと存じます。菅野

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