病院で質の高い適切な医療ケアを受けられる確率はわずか6割?

日本の新聞記事などを読んでいるとここ1~2年で急に医療費の問題を取り上げたものが増えており、日本人の医療費に対する危機感はどんどん強くなっている印象を受けます。実は、医療費の問題は常に「医療の質」とセットで議論するべき問題であるのですが、日本ではしばしばそのような視点が抜け落ちていると思います。

医療費抑制だけが目的なのであれば、診療報酬制度をひたすら引き下げていけばどこかで必ず達成できます。しかし、その結果として病院の経営が成り立たなくなり潰れ、残された病院には待っている人の長い列ができ、救急車のたらい回しが起こることでしょう。病院の設備はボロボロになり、検査器具や治療に用いられる器具の整備も不十分になり、患者が受けることのできる医療の質が下がってしまう可能性があります。国の財政が厳しい時に医療費を抑制したいと考えるのは自然な流れです。しかし、医療費抑制をやみくもに進めていけば、全ての人が多かれ少なかれ医療の質低下の影響を受けることになります。高齢者の医療や透析患者の医療を削るなど、社会における「自分以外」の集団の医療を削減することを正当化する人もいますが、自分自身が受ける医療の質まで犠牲になっても国の医療費を下げるべきだと主張する人はそれほど多くないのではないのではないでしょうか。

医療費とは医療サービスを消費することに対する「対価」であり、医療の目的そのものではありません。そのため、やみくもに医療費削減を進めていけば、医療の質は犠牲になると考えられます。よって、議論すべきは「どのように医療費抑制するか」ではなく、「いかにして医療の質を保ちながら医療費抑制を達成するか」であるべきです。医療の質と医療費という医療政策の2つの車輪に関して、日本では議論があまりに片方に寄っているので、今回はそれに警鐘を鳴らす意味も含めて、医療の質の考え方に関してご説明したいと思います。

1.「医療の質」とは?

医療に関してアメリカで最も権威ある学術機関である米国医学研究所(Institute of Medicine; IOM)*1によると、医療の質とは以下のように定義されます。

“医療の質とは、個人や集団に対する医療サービスが、どれだけ望まれた健康上のアウトカムを達成する確率を高めることができ、現在の専門的知識と一致しているかを表すレベルのことである。”Lohr, 1990

IOMは2001年のレポートで医療の質の6つの側面を提唱しました。実際には、医療システムの質を改善させるために重要な6つの側面として提唱されたものだったのですが、今では医療の質の定義としてしばしば使われています。頭文字をとってSTEEEPと覚えてください。

IOMによる医療システムの質の6つの側面

Safe(安全)

Timely(タイムリー)

Effective(有効)

Efficient(効率的)

Equitable(公平)

Patient-centered(患者中心)

一見すると、医療の質というと「安全で有効な医療」をイメージする方も多いかもしれません。しかし、この定義では、タイムリーであること(アクセスが良いこと、つまり病院にかかりたいときに待たずにかかれること)や公平であることなどまで含まれた、かなり包括的な概念になります。つまり、我々が一般的に考える「良い医療」という多角的な概念が、そのまま「質の高い医療」と定義されるようになった感覚です。ちなみにアメリカで医療の「効率」と言うと、しばしば医療費のことを意味します。医療費と表現するとコストカットのようなネガティブなイメージが強いため、効率というポジティブな表現が用いられているのです。

2.ドナベディアンの医療の質の3つの側面

医療の質を評価するときに良く用いられるものに、アベティス・ドナベディアンのフレームワークがあります。ドナベディアンは、医療の質は、構造(Structure)過程(Process)アウトカム(Outcome)の3つの側面から評価することができるとしました。構造とはいわゆるインフラのことであり、具体的には病院の設備、ベッド数、医師・看護師の数などのことを指します。過程とは、適切な医療行為が提供されたかどうかを反映し、心筋梗塞を起こした患者に適切な薬が処方された割合や糖尿病患者のうち適切に血糖値がコントロールされている人の割合などが該当します。アウトカムとは患者さんの死亡率、満足度、生活の質(Quality of life)などの健康上のアウトカムのことを意味します。

社会や患者さんが本当に評価・改善したいのはアウトカムです。しかし、アウトカムだけ評価していると、重症な患者さんを診療している病院ほど医療の質が悪いという結果になってしまいます。もちろんそのような患者さんの重症度による差を補正するために、リスク補正という手法が用いられ、この精度は時代を経るごとに改善しているものの、まだ重症度の差を完ぺきに補正することはできません。そのため、間接的な指標として、構造や過程に関する指標が用いられてきました。もし将来、リスク補正が完全になったら、医療の質の評価はアウトカム指標だけで良くなるかもしれません。

3.病院で質の高い適切な医療ケアが受けられる確率はたったの50~60%?

なぜ医療の質が重要なのでしょうか?それは医療の質が理想を下回っていると考えられているからです。患者さんは病気になった時に病院に行けば、ほとんどの場合、適切な医療ケアが受けられると思っているのではないでしょうか。しかし現実は残念ながらそうではありません。例えば、アメリカで研究者がカルテを一つ一つチェックした研究の結果、全体の約55%の患者しかガイドラインに推奨されている「医療の質の指標(Quality indicator; QI)」の基準を満たした医療行為を受けていませんでしたMcGlynn, 2003)。表2を見て頂ければ分かるように、それが予防医療であろうが、急性期医療であろうが、どのような状況においても、QIの目標達成率は50~60%でした。日本で行われた研究でも同様の結果が得られています。国立がんセンターの東尚弘先生らの研究でも、胃がん患者の治療において、同様にQIの目標達成率は68%に過ぎませんでした(Higashi, 2013)。つまり、これはアメリカ特有の問題ではなく、どの国においてもQIの目標を達成するような適切な医療行為が提供されている割合は6割前後にとどまっている可能性が示唆されています。

表2.米国においてガイドライン通りの医療行為が行われている割合

  医療の質の

指標(QI)の数

ガイドラインで推奨

されているものの割合

全体 439 54.9%
医療行為の種類 予防医療 38 54.9%
急性期医療 153 53.5%
慢性期医療 248 56.1%
医療行為の機能 スクリーニング 41 52.2%
診断 179 55.7%
治療 173 57.5%
フォローアップ 47 58.5%

(出典:McGlynn, 2003

さらに驚くべきデータがあります。複数の研究によると、アメリカでは毎年44,000~98,000人が医療ミスで亡くなっていると推定されています。(IOM, 1999)もし仮に、日本でもアメリカと同頻度で医療事故による死亡が発生していると考えると、日本でも毎年16,000~36,000人の患者が医療ミスで亡くなっている可能性があります*2

新たに有効な治療法が研究で明らかになっても、それが実地臨床に導入されるようになるまで実に17年もの歳月がかかると言われています。さらにアメリカでは毎年22,000人の心筋梗塞および肺炎の患者の死亡がきちんとした治療を受けていれば防げると推定されています。このように様々なデータが、医療の質は大きな問題であり、国民は理想的な質の医療サービスを受けられていない可能性を示唆しています。

4.まとめ

これらから分かることは、残念ながら医療の質は社会が思っているよりも、そして患者さんが期待しているよりも低いものであり、かなり改善の余地があるということです。アメリカでは医療の質を上げるような政策が次々に取られていますが、日本でも同様の政策が必要だと思います。医療の無駄を減らすことで効果的に医療費抑制を進める一方で、医療の質が犠牲にならないようにきちんと医療の質を評価し改善していくような政策を同時に推進していくことが必要不可欠だと思われます。

*1. IOMは1970年に設立された独立非営利の学術機関であり、健康や医療に関する議会や政府への助言を、政府から独立した形で行っています。組織の再編成により、2016年3月にHealth and Medicine Division of the National Academiesと名称を変えました。

*2. この数字は、筆者が日米の人口の比からざっくりとした推定したものですので、きちんとした研究に基づいた正確なものではありません。

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