医療技術評価(HTA)の限界~オレゴン州の「優先順位リスト」から学べること

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(写真:opensource.comクリエイティブ・コモンズ表示 2.0 一般

日本でも診療報酬制度に収載するかどうかを決める際に医療技術評価(Health technology assessment; HTA)や費用対効果分析(Cost-effectiveness analysis; CEA)を使おうという流れになってきています(HTAとCEAはほぼ同義なので本文中はHTAで統一します)。医療に使える財源には限りがあるというのは日本をはじめとする多くの国が直面している大きな問題です。全ての医療サービスを全ての人に提供するだけの財源が無い場合、選択肢としては、①財源を増やす(医療に使うお金を増やしてその他の公共サービスに使うお金を減らす、もしくは保険料や税金を上げる)、②保険がカバーする集団を制限する(例えば超高齢者の透析導入は健康保険のカバーから外す等)、③保険がカバーする医療サービスの種類を限定する、といった方法があります。この3つ目の方法である「保険がカバーする医療サービスの種類を限定する」時には、どの医療サービスを保険適用にするかを決める必要が出てくるのですが、その時にしばしば用いられるのがHTAです。HTAの結果によって保険が適用となる医療サービスを選択していることで有名なのは英国ですが、日本でも今まさに診療報酬制度にHTAが取り入れられようとしています。

HTAとは医療サービスにかかるコストとそれによって得られるメリットの比をとって、その値の大小によって、各医療サービスがかかるコストに見合った効果が得られるかどうかを評価する方法です(詳しくは以前のブログ①ブログ②ブログ③をご覧下さい)。HTAは一見するとすごく合理的な方法のように聞こえますが、実は方法論として不完全な部分がまだ残っています。その一つが、HTAの結果によって医療サービスの優劣を決めると、その結果は私たちの価値観としばしば乖離するという点です。それを如実に表しているのが1990年代にアメリカのオレゴン州で実施された医療改革とその結果です。

1.第一次オレゴン州メディケイド改革(1989~1993年)

1990年代にオレゴン州は貧困者向けの公的保険であるメディケイドの大改革を行いました。そのきっかけになったのは、1987年に起こったコービー・ハワード君という7歳の少年の不幸な死でした。1987年の初め、オレゴン州議会は財政難を理由に、臓器移植をメディケイドの適用から外しました。コービー君は白血病だったのですが、この州議会の決定によって骨髄移植を受けられなくなってしまいました。コービー君の家族は骨髄移植をするため寄付を募ったのですが、募金運動の最中にコービー君は亡くなってしまい、この事件は全米メディアの注目を集めることになりました。

コービー君の事件は、救急医である州議会議員である(そして後に州知事になる)ジョン・キチャバー(John Kitzhabar)にも大きな影響を与えました。キチャバーは、臓器移植という個別の問題を解決するだけでなく、限られた財源でできるだけ多くの医療サービスを州民に提供するような抜本的改革が必要であると主張し、他の議員を説得しました。それによって、オレゴン・メディケイド優先順位設定プロジェクト(Oregon Medicaid Priority-Setting Project)が立ち上がりました。

オレゴン州は、医療サービスの「優先順位リスト(Prioritized List of Health Services)」を作り、そのリストの一番上から財源がカバーできるぎりぎりのところまでを保険適用とすることとしました。その優先順位リストを作るために5人の医師、4人の患者代表、そして公衆衛生のバックグランドを持った看護師1人、ソーシャルワーカー1人の計11名の専門家による委員会(Health Services Commission)が作られました。そしてHTAによって医療サービスを費用対効果に優れるものから順番に並べていくという方法によって優先順位リストが作られることとなりました。

初めに公表された優先順位リストが大きな論争を生みました。HTAによって決められた結果、虫歯に対して王冠を作ることは保険適用であるものの、急性虫垂炎の外科的治療は適用外であるという結果になってしまったのです。このリストはおかしいということで州民から大きな反発を受けたため、HTAのような科学的手法で作られたリストを、その後委員会のメンバーがその権限を用いて、リストの順位を常識的判断に基づいて恣意的に変更するという手法が取られることになりました。そして優先順位リストの見直しは2年に1回行われることとなりました。この委員会と保険適用される医療行為の決められ方を見ていると、日本の中医協(中央社会保険医療協議会)と似ている点もあるのかもしれません。

1991年にオレゴン州はこのようなメディケイド改革について連保伊政府の認可(Waiver)を求めましたが、大統領選を控えたブッシュ政権は、世論の反発を買っていたこの制度を認めませんでした。結局、この改革は1993年にクリントン政権になってから認可され、1994年にやっと導入されることとなりました。この改革によって生まれた制度はOregon Health Plan(OHP)と呼ばれました。OHPによって連邦貧困水準(FPL)100%以下の人はメディケイドに加入できるようになりました。

優先順位リストは世間の注目を集めましたが、1990年代は景気が良かったこともあり、かなり幅広いサービスがカバーされたリストが用いられました。そのため、OHPは州民には比較的好評で、1992年には18%であったオレゴン州の無保険者の数は1996年には11%にまで減少しました。

 2.第二次オレゴン州メディケイド改革(2002~2003年)

2003年にはより多くの人を保険でカバーする目的で、Oregon Health Plan 2(OHP2)が作られました。OHPによってすでにFPL 100%以下の人は全てカバーされるようになっていたのですが、この水準を185%にまで引き上げようという野心的な計画でした。それを可能にするために、オレゴンのメディケイドプランはOHP PlusとOHP Standardという2つのプランに分割されることとなりました。OHP Plusは通常のメディケアがカバーするような妊娠中の女性や子連れの女性が対象でした(注)。OHP Standardは通常のメディケアではカバーされないような貧困水準を満たした独身男性が加入するプランとして作られ、OHP Plusよりも適用となる医療サービスは制限されたものでした(OHP Plusと比べて金額ベースで78%相当の医療サービスしかカバーされませんでした)。これには財源が必要であったため、受診時の自己負担額が設定され、保険料も引き上げられました。これが大失敗でした。OHP2はとても不評で、2004年には、オレゴン州の無保険者の数は17%まで増加していました。貧困層にとっては日々の生活が重要であり、保険料の負担が大きくなるくらいであれば、保険のカバーは無いままでいるということを選択したのでした。

(注)ほとんどの州のメディケイドは貧困なだけでは加入することができず、それに加えて妊娠中であることや子連れの女性であることが加入要件とされています。よって独身男性は多くの州でどんなに貧困であってもメディケイドには加入できないことが多いのです。このように貧困水準だけでなく属性(カテゴリー)によって加入要件が決まることをCategorical eligibilityと呼びます。オバマケアはこのCategorical eligibilityを撤廃し、FPL133%(実質138%)以下の人は全て加入できるようにしようとしました。

 3.オレゴン州の経験から学べる事

オレゴン州の事例からも分かるように、HTAの結果によって医療サービスの優劣を決めると、その結果は私たち価値観と乖離することがしばしばあります。これはなぜでしょうか?

HTAは同じ病態を治療するときに2つの治療法の選択肢のいずれがより優れているかを評価するのには極めて優れた方法です。その一方で、虫歯と急性虫垂炎のように全く違う疾患に対する異なる治療法を比較するときにもHTAを用いられるのですが、この後者の使い方をするときにはその方法論的な不完全さが見えてきます。

HTAは命にかかわるような重篤な疾患を治療する医療サービスを過小評価してしまう傾向があります。仮に、急性虫垂炎は治療を行わないと必ず死んでしまうものの、適切な治療を行えば100%助かる疾患であるとします。そして、虫歯は命にはかかわらないものの、痛みがあるため生活の質(QOL)が10%だけ下がる状態であるとします(これらの数字は全て仮定です)。HTAでは死亡はQOL 0%であると計算するため、虫垂炎の治療をするとQOLは100%改善することになります。そして虫歯の治療をするとQOLは10%改善することになります。そうすると、虫歯の人を10人治してあげることと、虫垂炎の人と1人治してあげることには同じだけのメリットがあるとHTAは判断します。でも実際には、私達は10人の歯の痛みを治すよりも、一人の虫垂炎の人の命を救ってあげるべきだと考えていると思います。HTAでは痛みがある、後遺症が残るなどでQOLが下がる状態(QOL 1~99の状態)と、死亡(QOL 0の状態)が連続的なものであると評価しますが、私達は生きるか死ぬかは大きな違いであると考えています(QOL 0とそれ以外が不連続な状態である)。そのため、HTAに頼って保険適用を決めると、命を救うような治療行為はしばしば過小評価されてしまうリスクがあります。

これを解決するために、ハーバード公衆衛生大学院の倫理学者のノーマン・ダニエルズはHTAを2段階で行うことを推奨しています。まずは命に関わる重大な疾患を治す医療サービスを健康保険で全てカバーして、それが終わった段階で、QOLが下がるが命には関わらない病態を治療するサービスをHTAの結果に基づいて順番にカバーしていくという方法です。しかしこれはまだコンセンサスが得られた方法ではなく、この分野はまだまだ研究が必要な領域だと考えられます。

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