アメリカの医療制度は自由市場主義的なシステムから社会主義的なシステムに向かっている

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写真:Anna/クリエイティブ・コモンズ表示 2.0 一般

日本語で書かれているアメリカの医療に関する記事を拝見していると、アメリカの医療制度はしばしば誤解されていると感じます。おそらくその中でも最も大きな誤解は、アメリカの医療制度はどんどんと自由市場主義に向かっているというものです。アメリカの医療制度は確かに歴史的に自由市場主義的でしたが、2010年のオバマケア以降、実はどんどんと反自由市場主義的(どちらかというと社会主義的)な方向に向かっています。この動きはおそらく止まることなく、近い将来、アメリカの医療制度は「規制された市場(Regulated market)」に落ち着くことになると考えられています。

アメリカの医療制度が歴史的に自由市場主義なのは、医療サービスを自由市場で取引させると他のサービスと同様に、安い価格で質の高いサービスが受けられるようになると(昔は)信じられていたからです。今となっては、医療は自由市場ではうまく機能しないことが分かっていますが(詳しくは以前のブログをご覧ください)、この時代にはこれに関する医療経済学のエビデンス(データに基づく科学的根拠)がありませんでした。医療保険に関しては第二次世界大戦中に民間医療保険が急増しました。第二次世界大戦時に従業員の給与に上限がかけられました。医療保険は税金の控除対象でしたし、若者は戦争に駆り出されていて人手不足でしたので、雇用者は福利厚生として医療保険を提供することで労働力を確保しようとしました。この時にはアメリカには公的医療保険がまだ存在していなかったため、民間医療保険が急増しました。一度、民間医療保険のマーケットができ上がってしまうと、彼らは既得権益を守るために積極的に政治に働きかけるようになるので、公的医療保険を導入することが政治的に極めて困難になってしまいます(イェール大学の政治学者であるジェイコブ・ハッカーはこれが長年にわたりアメリカで皆保険が導入できなかった理由であると述べています)。これが、アメリカがその後60年にわたって皆保険制度を導入しようと思っていたにも関わらずできなかった歴史的な背景であると考えられています。

アメリカの皆保険制度までの道のりは長いものでした。まずは今までのアメリカの大統領が皆保険制度に関してどのように関わってきたか俯瞰してみましょう。

アメリカ大統領(任期) 医療保険制度に関する業績
フランクリン・ルーズベルト(1933-1945) ニューディール政策など社会保障制度全般に関しては多くの業績があるが、医療保険に関する業績はない。
ハリー・トルーマン(1945-1953) 皆保険制度(National health insurance)を計画するも失敗。
ドワイト・アイゼンハワー(1953-1961) 民間医療保険を守る再保険制度(reinsurance plan)を導入しようとするが失敗。連邦職員(公務員)医療給付プログラム(FEHB program)を導入。
ジョン・F・ケネディー(1961-1963) 高齢者向けの公的医療保険メディケア、貧困者向けの公的医療保険メディケイドを導入しようと計画した。
リンドン・B・ジョンソン(1963-1969) ケネディーの意思を継ぎ、メディケアとメディケイドを導入することに成功した。
ニクソン(1969-1974)
フォード(1974-1977)
カーター(1977-1981)
レーガン(1981-1989) メディケアに自己負担上限額を設定して、それ以上は保険でカバーされるようにした(Medicare Catastrophic Coverage)。日本の高額療養費制度に近い制度。
ブッシュⅠ(1989-1993)
クリントン(1993-2001) クリントンケアとも呼ばれる皆保険制度を導入しようとするも失敗。制度の詳細を密室で決めようとしたことが失敗の一因であるとされている。小児の貧困者向けの公的医療保険(Children’s Health Insurance Program)を導入する。
ブッシュⅡ(2001-2009) メディケアに外来処方薬をカバーする制度(Part D)を追加した。
オバマ(2009-現在) 皆保険制度導入に成功する。

Affordable Care Act (ACA) 2010年

※医療保険に関する業績が特にない場合には空欄にしてある。

1940年代のトルーマンから、何人もの大統領が皆保険制度を導入しようとして失敗してきて、60年後の2010年にオバマ大統領がついに皆保険制度の導入に成功したというのがアメリカの医療保険の歴史です。ちなみに1965年に導入されている高齢者向けの医療保険メディケアは皆保険制度です。アメリカでは65歳以上になれば全ての国民が、一つの巨大な医療保険であるメディケアでカバーされているからです。

この歴史を見るだけでも、アメリカの医療保険制度が、規制の全くなかった自由市場で取引されていたところから、歴代の大統領のリーダーシップで、少しずつ規制が導入され、社会保険制度に近いシステムに向かっていっているのが分かって頂けると思います。

実はオバマケアには当初、メディケアの適応年齢を広げて全国民が加入できるようにして、メディケアと民間医療保険を競争させようとする条文が含まれていました。この法律はPublic Optionと呼ばれていました。もしこれが実現すれば、巨大な公的保険であるメディケアは効率性や交渉力(bargaining power)の面で民間医療保険よりも圧倒的に有利ですので、民間医療保険のマーケットシェアのほとんどを奪うことができ、実質的に単一の公的医療保険制度による皆保険を実現できると考えられていました。しかしながら、共和党に強い反対もあり、2009年この部分を削除することでオバマケアはどうにか議会を通すことができたのです。

オバマケアがいかに「反自由市場主義」であるかはその内容を見て頂ければ分かると思います。

民間医療保険会社には、利益率の上限を設定しました。保険料として集められたお金のうち80-85%以上は、医療サービスの給付と言う形で被保険者に還元しないといけないというルールが導入されたのです(Medical Loss Ratio)。連邦政府の民間医療保険に対するガバナンスを強くして、実質的に公的保険に近づけようとしていることが分かります。

メディケイドに加入できるほど貧困ではないが、自分で医療保険を購入できないワーキングポア(working poor)の人たちは、オバマケアの下では医療保険取引所(Health Insurance Exchange)と呼ばれる連邦政府に管理された市場で民間医療保険を購入することになります。保険料が高すぎる場合には、政府が年収に合わせて補助金を出すため、雇用者が保険を提供してくれない(裕福ではない)人でも医療保険を自分で購入することができるようになります。民間医療保険はこの市場に参入して保険を売るのですが、どの医療サービス(例:予防医療サービスはカバーしていなくてはいけない)をカバーしていなければいけない、などの様々なルールがあります。さらには、オバマケアは糖尿病やガンなどの基礎疾患がある人を民間医療保険会社が加入拒否することを法律で禁じました。民間医療保険はリスクの低い人たちを加入者として選べなくなってしまいました。これらを総合的に見てみると、オバマケアは自由市場で取引されていた医療保険を、「規制された市場」で取引させるようにするという、反自由市場主義的な流れであることが分かって頂けると思います。

医療に関してもっとも社会主義的である英国では、医療システムが公的サービスであるため競争原理が生まれなかったため、管理された競争(Managed competition)(ニュアンスとして規制された市場に近いものです)が導入されました。逆に最も自由市場主義的であったアメリカはどんどんと規制された市場に向かっています。つまり、全世界的に「規制された市場」に収束していっているのだと考えられます。これは資本主義 vs. 社会主義というイディオロギーの問題ではなく、数多くのエビデンスが医療では自由市場は機能しないことを証明しているからであるという、極めて合理的な発想によるものです。国の形が資本主義であったとしても、医療に関しては適切に規制されている方がうまく機能する(=低い医療費で良い医療サービスが受けられる)ということが医療経済学のエビデンスから分かってきたからです。このようなグローバルな流れにおいて、日本だけが混合診療解禁などの自由市場主義的な方向に向かっていることに、個人的には一抹の不安を覚えています。

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